ひつじ図書館

本と映画の感想ブログです。SFおおめ、恋愛すくなめ。

農家と陰謀論 小川一水「天冥の標Ⅴ 羊と猿と百掬の銀河」

小川一水の長編SF「天冥の標」の五作目。

「農業」というテクノロジーに興味がある人、

知的生命の誕生を描いた話を読みたい人向け。

 

 

 

 

「けれどもぼくは思ったよりもたくさん見てしまったから…人が、可憐に滅んでいくさまを。」

得体の知れない存在だった「ダダー」の真実が、ついに明かされる。

 

 

 

「羊と猿と百掬の銀河」あらすじ

小惑星農家の日常

個人小惑星農家のタックは、大手自動化農業企業ミールストームの攻勢と娘のザリーカの反抗期に悩まされる日々を送っていた。地球から農業を学びに来た学者アニーを受け入れてからは、鬱屈とした日々にも多少の明るさが戻ったが生活の苦しさは変わらない。

 

タックには夢があった。星のリンゴ「アケボシ」の栽培だ。市場には流通しない希少な品種で、栽培に成功すれば小惑星農家初の果樹栽培が実現する。栽培に成功の兆しが見え始め、ザリーカの問題もひと段落したと見えたある日、小惑星農家たちとザリーカをそれぞれ過酷な試練が襲う。ザリーカ、タック親子の過去の秘密とは、そして個人小惑星農家たちは星間企業の圧迫に耐えて生き残ることができるのか。

 

マクロの物語

以上のような24世紀の小惑星農家タックの物語と並行して語られるのが、6000万年前から続く〈被展開体〉のダダーの物語だ。サンゴのような異星人の惑星で、ある日彼らの情報ネットワークの中で意図せずに生命が生まれる。「ノルルスカイン」という名を与えられた生命体は、サンゴ人との長年にわたる共存のあとさらに進んだ文明の宇宙船に取り込まれ、自らが「被展開体」というネットワークの中に生まれる知性であり、文明の余剰計算機資源に寄生して生きる存在だと知る。

 

ミスチフ」という被展開体の同胞とも出会い、共に様々な文明を渡り歩くうちにノルルスカインは宇宙は基本的に闘争状態にあることに疑問を覚え始めた。共存の道を模索する理想主義者のノルルスカインと「みんながみんな、ニコニコわらってあく手してる宇宙なんて、きっもちわるい」と言う現実主義者のミスチフの間に次第に亀裂が生じ、二つの存在は喧嘩別れする。

 

一人で旅を続け、文明間で名のある存在として力をつけてきたノルルスカイン。ある日ミスチフから和解の申し入れが届く。「オムニフロラ」という名の強力なパートナーを見つけたという知らせに、ノルルスカインは喜んでミスチフのもとに向かうが...

 

 

 

「羊と猿と百掬の銀河」解説

ついに現れた黒幕

大きな転換点を前にした箸休めのようなポジションの本巻だが、黒幕となるオムニフロラが登場し、シリーズ全体の方向性が初めて示される。名前自体は第三巻「アウレーリア一統」で一度だけ登場したオムニフロラの来歴と脅威、そしてダダーが「失敗した被展開体」と語ったミスチフとの関わりがついに明かされるのだ。

 

行く手にある文明を次々に飲み込み、致命的感染症を生き延びた強いものだけを自らの軍団に取り込みながら、際限の無い亜光速の進軍を続ける植物を基幹とした生態系群。omni-は「全て」という意味のラテン語の接頭辞で、floraはある地域に生息する植物群の全体を示すので、「オムニフロラ」とはまさしく名が体を表しているネーミングだ。

 

太陽系文明の中の市井の民

こうした陰謀論的な展開とは対照的なのが、タックのパートで描かれる市井の人々の健気な生き様だ。個人小惑星農家たちの日々の暮らしや、パナストロ連合の首都パラスでの都会生活は、「洗練された未来予想図」というよりも、読んでいてほっこりとする地に足がついた生活である。このような、作品世界に奥行を与える細かい日常描写も天冥の標の魅力だ。

 

2,3,4巻では、第1巻「メニー・メニー・シープ」のラストで名前が挙がった「救世群」、「酸素いらず」、「恋人たち」が主役となってきた。彼らはいわば天冥の標のメインストリームに当たるが、今回はそこから離れた無名の人々にスポットが当てられる。麗々しい装いや過酷な宿命、生まれながらの生業を持たない一介の市民たち。彼らが危機を乗り越えて生み出した星のリンゴ「アケボシ」が、シリーズの結節点となる次巻の「アップルハンティング」で重要な役割を果たすのには感慨深いものがある。

 

 

迫りくる危機

今回は一応「めでたしめでたし」で終わるが、何やら不穏な動きも複数見え始める。不気味な笑いを漏らしながら暗躍する謎の勢力、自動化艦隊をも売り出すロイズ傘下の巨大ロボット企業MHD社の台頭、太陽系に向かってくる謎の飛行体。そしてエピローグでアニーが述懐するように、それらの脅威に対抗するわざを人類はいまだ生み出せていない。繁栄を謳歌する太陽系人類の運命はどうなるのか。物語はついに第六巻「宿怨」へと歩みを進める。

 

 

補足:誤植かな?と思った箇所

 p423で「ロイズ宇宙アカデミー」が“RAU”と略されているが、現実に存在する再保険市場のロイズのつづりは“Lloyd’s”なのでLAUとなるのでは…まぁ天冥の標世界のロイズは現実世界のロイズとは別物と言われればそれまでだが。

 

 

前巻の記事

 

bookreviewofsheep.hatenablog.com

 

 

天冥の標Ⅴ 羊と猿と百掬の銀河

天冥の標Ⅴ 羊と猿と百掬の銀河