「虐殺器官」あらすじ
物語は「ぼく」の一人称で語られる。主人公はアメリカの暗殺部隊の兵士、シェパード大尉。9.11とサラエボでの核兵器テロの影響により、コストの許す限り日常のあらゆる場所でID認証が求められるようになった管理社会で、主人公は「人道に対する罪」を犯す人物を上官の指示のままに淡々と暗殺する。
先進国では徹底した認証の成果かテロが激減する一方、年々途上国での紛争は激化し、しかも一度平和が訪れたはずの国でさえも大量虐殺が行われる異常事態が顕現していた。主人公はその混乱の黒幕であるとされる男「ジョン・ポール」を追うが…
感想
「メタルギアソリッド」との関わり
恥ずかしながら伊藤計劃について何も知らない状態で読み始めたので、読んでいる間はのんきに「メタルギアソリッド(MGS)っぽいなー」と感じていた。読後に作者の名前で検索をかけてみて納得。これほどMGSシリーズ、そして小島秀夫監督と縁の深い作家もいないだろう。
スネークイーター、HALO降下、民間軍事請負企業、DARPA、ナノマシン、痛覚制御、人工筋肉、ID付きの銃、そして言語兵器。本作にはMGSでおなじみの語彙と設定が次々と登場する。後に作者は「メタルギアソリッド4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット」のノベライズも手掛けており、伊藤計劃と小島秀夫は切っても切れない関係にあると言えるだろう。
無料の冒頭15分とラスト
MGSの欠点を挙げつらうとすれば、「戦術諜報アクション」というジャンルの軛のせいで、戦場と軍人の周囲しか描くことが出来ず、全くと言っていいほど一般市民の姿が描かれない点だ。その点で「虐殺器官」はMGSとは一線を画している。
本作では主人公が諜報活動中に接触する女性、ルツィア・シュクロウプが無辜の市民の代表格として登場する。また、主人公が同僚と「プライベート・ライアン」の冒頭のループ再生をピザ片手にだらだらと鑑賞する場面など、「日常」を感じさせる描写も少なくない。冒頭だけを鑑賞する理由の一つが「ペイムービーのプレビューである無料の冒頭15分」だから、というところに非常に共感できる、生活感溢れるシーンだ。
そして小説の中の世界の細部にまでピントがあっているからこそ、エピローグでの展開が非常に大きな意味を持ってくる。主人公の行動は倫理的にみればたしかに許されるものでは無い。しかし、筆者はエピローグを読み終わった後、確かに彼はこうすべきだったのだと、少なくとも物語の展開の中ではこうするのが正解だったのだ、という奇妙な確信を持った。
血生臭い話を題材としている小説だが、不思議と爽やかな読後感があり、MGSのファンにもおすすめできる小説である。難を挙げるとすれば新版の表紙が気に入らないが、これに関してはハヤカワ文庫と筆者個人のセンスの相性の問題なので、深くは言うまい。