リレー形式で小説を繋げて紹介していく企画、「読書リレー」。第22回の今回は、「ゲド戦記」シリーズ第一作「影との戦い」(ル=グウィン)を紹介していきます。
前回の「はてしない物語」(ミヒャエル・エンデ)の記事はこちらから
「影との戦い」あらすじ
見習い魔法使いのゲドはある日、級友の挑発にのって死者を呼び出してしまう。命だけは助かったが、呼び出されたモノは「影」として世に放たれてしまい、ゲドの命を執拗につけ狙う。
傷を負いながらも一人前の魔法使いになったゲドは、影から逃れる方法を探して世界を放浪する。影の正体とは一体何なのか、そして影の「名前」とは?
真の名前を知られるな
「ゲド戦記」の世界では、「名前」がとても重要な意味を持ちます。全てのものには普段使われている名前とは別に「真の名前」があり、真の名前を呼ぶことでものを操ることができるからです。
タカの真の名前を呪文で呼ぶと、タカが寄ってくる、というような感じです。そして、物や動物だけでなく、人も真の名前を呼ぶことで操ることができます。だから魔法使いは自分の真の名前を知られないようにし、いつもは仮の名前を使います。
「ゲド」という名前は師匠に弟子入りするときに授かった真の名前で、いつもは「ハイタカ」という別の名を名乗ります。しかし「影」は「ゲド」という真の名前を何故か知っており、ゲドをじわじわと追い詰めて行きます。
こういう「本当の名前を知られたらアウト」という設定はグリム童話の「ルンペルシュティルツヒェン」や次回紹介する「バーティミアス」でもお馴染みですね。
「諸葛」「亮」「孔明」
少し話は逸れますが、かつての中国では親しくない人を名で呼ぶのは無礼だとされていました。「三国志」を読んだ方ならぴんとくるかもしれませんが、古典の中の中国人の名前は「姓」「諱(いみな)」「字(あざな)」の3つからなります。そして、日本人の姓名で言うところの「名」にあたる諱は、よほど親しい人でなければ使ってはならないとされていました。
例えば「諸葛亮孔明」なら「諸葛」が姓で、「亮」が諱、「孔明」が字です。主君の劉備でさえ、孔明を「亮」と諱で呼ぶのは失礼に当たります。だから「孔明」と字で呼ぶわけです。(現代中国では字は公式には使われていないそうです)。ゲド戦記に話を戻すと、真の名前の「ゲド」が「諱」で、「ハイタカ」が「字」に当たるわけです。
名前は神聖なもの
「名前」を重要なものと考えて、みだりに呼んだりしない風習は他にも見られます。例えば、ユダヤ教の唯一神は「ヤハウェ」という名ですが、あまりヤハウェヤハウェと気軽に呼ぶべきではないとされています。もっとも「ヤハウェ」という表記は正確ではなく、そもそも綴り自体が「YHWH」と発音不能なものになっているので名を呼ぶことが出来ない仕組みなのですが…。また、キリスト教圏でも「God」という単語をみだりに口にするのは良くないとされています。
このように、昔から「名前」には何か神聖な力があると考えられ、名前を人に教えないようにしたり呼ばせないようにしたりする風習は色んな地域に存在しました。そういう風習に思いを馳せながら、「ゲド戦記」を読んでみてはいかがでしょうか。
次回予告
次回は「名前を知られたらアウトなファンタジー」繋がりで「バーティミアス」を紹介します。主人公のナサニエル君は、魔法使いは魔法使いでも異世界から妖魔を召喚する系の魔法使いです。