ひつじ図書協会

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イッテQ!×ダーウィンが来た! ダグラス・アダムス「これが見納め 絶滅危惧の生きものたちに会いに行く」

 フローレス島には全部合わせてトラックが三台しかないという話だったが、町に向かう途中の道でそのうちの六台に出くわした。

ーダグラス・アダムス

 こんにちは、sheep2015です。今回は、「銀河ヒッチハイク・ガイド」で有名なSFコメディ作家ダグラス・アダムスが、絶滅危惧種に会うために限界旅行をするルポルタージュ、「これが見納め 絶滅危惧の生きものたちに会いに行く」を紹介します。

 

ユーモアではヒ○じいに圧勝

 アイアイ、カカポ、キタシロサイ。マウンテンゴリラにヨウスコウカワイルカ。「ダーウィンが来た!」にも出てきそうな定番の絶滅危惧種たちが本書には登場しますが、「ダーウィンが来た!」と徹底的に違うところがあります。それが、フクロウが飛ばす親父ギャグではなく、ダグラス・アダムスの一流のユーモアを楽しめるところです。

 

 バリ島は世界一美しい場所だとデイビッド・アッテンボローは言っているが、きっとわたしたちより長く滞在して、ちがう場所を見たのだろう

―俗悪観光地化になり果てたバリ島を見たダグラスのセリフ

 

 マークは振り向いて、後ろの席の乗客に、ここの飛行機は落ちたことがあるんですかと尋ねた。ありますよ、でも心配いりません、ここんとこもう何か月も派手な墜落事故は起こしてないから、とその客は言った。

―コモドオオトカゲに会う旅の途中、おんぼろ飛行機の機内にて

 

 そして冒頭の、「三台のうちの六台のトラック」など、各所に散りばめられたユーモアを楽しめること必定です。

 

イッテQ!的限界旅行

 「ダーウィンが来た!」しかり、「アニマルプラネット」しかり、大抵の自然番組はお目当ての動物たちが最初から登場します。しかし、本書はお目当ての動物にたどり着くまでにダグラスたちが悪戦苦闘するシーンから話が始まります。

 

 コモド島への中継地点、ラブアン・バジョのホテルでは、夜中に鳴く雄鶏や、犬や猫の大喧嘩(「ロンドン交響楽団とともに地獄の穴の中に落ちたら、きっとこんな感じだろう」)、そして「隣室でいきなり勃発したすさまじい離婚手続き」に悩まされてダグラスたちは一睡もできません。

 

 その他にも、搭乗券が「予約確認済み」になっていたのに空港に行くと飛行機の席がなかったり、空港のカウンターでたらいまわしにされたり、カカポに会いに行ったときにはヘリコプターで崖っぷちに着陸するハメになったり、ダグラスたちは散々な目に遭います。

 

 ドキュメンタリー番組では省かれがちな、動物にたどり着くまでの過酷な旅という「裏側」も見せてくれるのは、「世界の果てまでイッテQ!」にも似た超一流の芸人根性を感じます。「イッテQ!」もそうですが、こういう過酷な旅を愚痴として語るのではなく、ユーモアを加えてエンターテイメントに昇華させて語るのはかなりの高等技術だと思います。

 

本当に笑っている場合か?

 「絶滅の危機に瀕している」という言葉は、その生々しい意味を失ってしまったな、と私は胸のうちで思った。しょっちゅう聞きすぎて、いまさらどきっとすることもなくなっている。

 

 ヨウスコウカワイルカを探す旅の途中、揚子江の上でダグラスはこう零します。私には、このセリフが私たち読者にとっての強烈な皮肉に思えてなりません。

 

 今まで私はダグラスたちの旅をバラエティ番組のように紹介してきましたが、もう地球上から消滅するかもしれない生き物を懸命に探し求める旅を、こんなふうに茶化してしまうのは正しいことなのでしょうか?実際、ダグラスは結局野生のヨウスコウカワイルカには会えませんでした。ヨウスコウカワイルカ現在では目撃情報が絶えて久しく、絶滅したのではないかと言われています。

 

 生物の絶滅は深刻な問題ですが、あまりに深刻すぎてその深刻さがよく分からない状態になっています。それこそ、「絶滅危惧種」という言葉は「しょっちゅう聞きすぎて、いまさらどきっとすることもなくなって」しまっているくらいです。

 

 そのため、生物の絶滅の深刻さを訴えるには、たとえば本書のようにユーモアで読者を引きつけてからでないと注目を集められない、という皮肉な状態になっています。深刻な問題を語るために、面白おかしく深刻な問題を語らなければならないというこの矛盾。

 

 本書のタイトルは、「これが見納め 絶滅危惧の生きものたちに会いに行く」です。ダグラス・アダムスのユーモアに大笑いするのは結構。しかし、笑いが収まった後で、改めてこのタイトルの重さを思い出して我に返る瞬間があってもいいのではないかと思います。