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天冥の標Ⅰメニー・メニー・シープ

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「天冥の標」の記念すべきシリーズ一作目。2009年9月刊行。西暦2803年、系外惑星植民地「メニー・メニー・シープ」で発生した反乱と、その思いがけない結末が描かれる。

ストーリー

 西暦2803年、系外惑星ハーブCに建設された植民地「メニー・メニー・シープ」は開闢300周年を迎えようとしていた。しかし、植民地では「領主レクター」と呼ばれる植民地臨時総督が独裁を敷き、市民への資源の分配量を年々減らしていた。

 

 そんな中、植民地の最東端の都市セナーセーで未知の感染症が発生する。町医者のカドムは幼馴染のアクリラと共に感染症を食い止めるが、感染源として狩り出されたのは「イサリ」と名乗る謎の生物だった。

 

 イサリの存在を聞きつけた臨時総督はセナーセーに軍警の部隊を派遣し、イサリの引き渡しを迫る。セナーセーを治めるアクリラの父、キャスラン・アウレーリアはこれを拒絶するが…。

 

 イサリとの出会いをきっかけに、アクリラとカドムは臨時総督の打倒を目指して動き始める。植民地議会の腐敗を憂う若き議員エランカ、謎めいた「恋人たちラバーズ」、そして市民たちを巻き込みながら、反乱は植民地を思いがけない運命へと動かしていく。

 

 300年の間隠されてきた「メニー・メニー・シープ」の秘密とは、そして植民地に現れる「救世群」と呼ばれる怪物の正体とは。多くの謎と共に、全10巻にわたるシリーズの幕が開ける。

 

用語解説

メニー・メニー・シープの背景事情

 かつて、人類は恒星間移民船を建造し、太陽系を飛び出して系外惑星への植民を行う「拡散時代」を謳歌していたとされる。メニー・メニー・シープに存在するロボットや臨時総督の市民監視システムはすべて、拡散時代の遺物であるらしい。

 

 しかし、メニー・メニー・シープでは移民船シェパード号が事故を起こして地下に沈んだため、拡散時代レベルまでに技術水準を発展させることが出来なかった。現在では地下深くから送られてくる電力を頼りに文明を維持している状況である。

 

 創立初期には議会が機能していたが、次第にロボットたちの指揮権限を持っていた甲板長が権力を振るい始め、独裁体制を確立した。現在では植民地臨時総督と名乗る甲板長は、植民地全体の電力とロボットたちを掌握し、市民を支配している。

 

 こうした事情から、メニー・メニー・シープはロボットや改造人類のような高度な技術と、蒸気自動車のような遅れた技術が共存し、封建領主のような臨時総督が君臨するという奇妙な世界になっている。

海の一統(アンチョークス)

 セナーセーに住む、漁師兼戦士集団。拡散時代に自らの体に遺伝子改造を施した人々の末裔。電気代謝能力を持ち、酸素を必要としないという特性を活かして「窒息しない(=un-choke )漁師」として漁業を営んでいる。

 

 一方で彼らは、体内に蓄えた電気を使ってコイルガンを扱う戦士でもある。コイルガンは窒素統制で火薬が足りない中でも使える数少ない武器であり、「領主レクター」に対する強力な対抗手段になる。

 

 セナーセーは代々アウレーリア家が治めており、当主には「艦長キャプテン」の称号が与えられている。臨時総督との戦いに敗れ、追放されたシェパード号士官オラニエ・アウレーリア艦長が開いた町がセナーセーだとされているが…?

 

恋人たち(ラバーズ)

 植民地首都オリゲネスの一角「カーリンドン地区」に居を構えるアンドロイドたち。表向きには建築や絵画の技術に長けた芸術家集団とされているが、その実態は人間相手に春を売るセクサロイドであり、彼らの本拠地「雄閣」には夜な夜な多くの男女が通ってくる。

 

 「人に奉仕せずには生きていけない」という本能を植えつけられており、リーダーのラゴスを始めとして多くのものがこの本能との葛藤を抱えている。そうした苦悩から生まれたのが、ラゴスの建築やアウローラの絵画、ベンクトの音楽のような、彼らの並外れた芸術的素養なのである。

 

 臨時総督の配電制限に反発して彼らが起こした「カーリンドンの立てこもり」と呼ばれる事件が、臨時総督への反乱の序章となる。

 

偽薬売り(ダダー)

 「ノルルスカイン」という若者の姿でカドムたちの前に現れては、謎めいた言葉を残していく謎の存在。シェパード号の制御人格とも言われるがその真偽は不明。

 

 市民たちが毒づくときに「ダダーめ!」と言うほか、石工たちも「ダダーの名のもとに!」と頻繁に言うなど、メニー・メニー・シープと古くからの関わりがあるようだが…?

 

石工(メイスン)

 軍警に仕える異星生物。かつてメニー・メニー・シープで発見された生物とされており、現在では軍警の主力として働いている。人より背丈が低く、昆虫のような見た目をしている。

 

 嗅覚を通じて仲間どうして共意識を形作ることができ、仲間の痛みや思考を共有することが出来る。知能は低いが従順なため、人間からは体のいい奴隷として扱われ、虐待されている。

 

 臨時総督への反乱の中で彼らも変わり始め、ベンクトによって「リリー」と名付けられた個体は多くの姉妹を集めてより大きな共意識を形成していく。

 

シリーズの構造について

 シリーズ全体の時間軸でみると、「メニー・メニー・シープ」はかなり終盤に位置する。「Ⅱ 救世群」では舞台が現代の地球に移り、以降は「メニー・メニー・シープ」に至るまでの過去の話が始まる。そしてこの「過去編」こそが、「天冥の標」の真髄と言っても過言ではない。

 

本作を読了された人は、ラストにこのような一節があったのを覚えていると思う。

かつて六つの勢力があった。

それらは「医師団」「宇宙軍」「恋人」「亡霊」「石工」「議会」からなり、「救世群」に抗した。(中略)時は流れ、植民地が始まった。

 

この一節に従って、

「Ⅱ 救世群」では致命的感染症「冥王斑」の患者群「救世群プラクティス」と、「連絡医師団リエゾン・ドクター」、

「Ⅲ アウレーリア一統」では「海の一統アンチョークス」、

「Ⅳ 機械仕掛けの子息たち」では「恋人たちラバーズ」、

「Ⅴ 羊と猿と百掬の銀河」では「亡霊ダダー」、

「Ⅵ 宿怨」では「石工メイスン」、

「Ⅶ 新世界ハーブC」では「議会スカウト

 

…というように、各勢力の由来が約5世紀に渡る人類の未来史と並行して明かされる。

 

 こうして、現代の地球とかけ離れた「メニー・メニー・シープ」の世界が出来上がるまでの歴史が語られる中で、第一巻の謎や伏線が解き明かされていく。そして第八巻からようやく、第一巻のあの衝撃的なラストの後へと時間軸が進む。

 

 いわば、第二巻からの「天冥の標」は第一巻で示された謎の壮大な「種明かし」だ。肩の力を抜いて今後のシリーズを楽しんでいってほしい。

 

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蛇足:ホメロスと「天冥の標」

実は、本作で描かれるのはシリーズ全体の時間軸の中ではかなり終盤に近い出来事だ。

 

 同じような始まり方をする作品に、ホメロスの「イーリアス」がある。かの有名な「パリスの審判」に端を発するトロイア戦争を描いていたこの作品、実は10年以上に渡る戦争があと50日で終わるというタイミングから始まるのだ。

 

 このように「イーリアス」も「天冥の標」も、中盤の山場から物語が始まり、山場に至るまでの状況説明は後からされるという構造をもっている。

 

 こうした手法をホラティウスは『詩論』の中で「in medias res」と表現した。ラテン語で「物事の途中へ」という意味で、物語を途中の部分から語り始めるという手法をさす。「in medias res」には、まどろっこしい背景説明や導入をすっ飛ばして物語の中核部分を最初に持ってくることで読者をひきつける効果があるとされる。

 

 わかりやすくまとめると、刑事ドラマがいきなり事件発生シーンから始まるのと原理は同じだ。中盤ぐらいに殺人事件が起きるより、序盤に犠牲者が出てそのあと謎解きの中で事件に至るまでの経緯が解き明かされる方が、テンポが良くなる。

 

 というわけで「天冥の標」はイーリアスから刑事ドラマまで古今の物語で使われてきた手法に沿っているので、「メニー・メニー・シープ」を読んで「ちょ、オイイ!?」となった人も、投げ出さずに落ち着いて読み進めてほしい。