最終更新:2021/04/22
あらすじ
「私」とその妻の、謎めいた「夜の宮殿」や「山の屋敷」をめぐる5日間の新婚旅行の物語。白黒市松格子の床を持つ大広間、ナイフで決闘をする二人、伝令を受け持つ小太り男、居丈高なもう一組の新婚カップル。繰り返されるモチーフに導かれて、読者は幻想的な世界へ誘いこまれていく。
「山の人魚と虚ろの王」感想
人魚について
「人魚」と聞くと、どんな姿を思い出すだろうか?恐らく多くの方がディズニーの「リトルマーメイド」のようなメルヘンチックな人魚を思い浮かべるだろうが、筆者の脳裏にはなぜか人の肉を喰らうグロテスクな人魚が浮かぶ。このイメージの元になっているのは恐らく昔読んだ高橋留美子の「人魚シリーズ」*1だが、そもそも伝承を紐解くと人魚は不吉とされることが多い。個人的には不吉というか、「危険な美しさを秘めた妖しい存在」というイメージを人魚に持っている。
そういうわけで、「山の人魚」とは妖しげながらも魅力的な響きだと思いながら読み進めていたが、どうにも本作の人魚は「人魚シリーズ」ではなく「リトルマーメイド」寄りの設定を持っているようだ。
多くの柱が並ぶ明るく広い場所でいかにも楽しげに踊りまくる人物がいて、どうやら足を得た山の人魚が王宮の舞踏会で踊る場面であるらしかった。
「山の人魚と虚ろの王」とは作中の「夜の宮殿」と呼ばれる施設で演じられている公演のタイトルなのだが、この箇所を見る限りどうやら「リトルマーメイド」のように人魚が陸に上がる話らしい。
名付けの魔力
…本作を読んだ人は既に心の中でツッコミを入れているだろうが、上記の話は「山の人魚と虚ろの王」の内容にはほとんど関係ない。本作に登場する「山の人魚」や「虚ろの王」とは象徴的な存在であって、人魚がどうこうは本作においてあまり問題ではないのだ。
それでもわざわざ人魚の話をしたのは、「山の人魚と虚ろの王」というタイトルにこの上なく惹かれるものを感じたからだ。「人魚」という言葉が持つ妖しげなイメージに加えて、「山の人魚」という一見矛盾した字面にも興味が湧いたのが、本作を手に取ったきっかけだった。
「虚ろの王はね、衣装だけの存在でその役の踊り手はいないの。でも他に、機械仕掛けで少し動く個体もあるのよ。」
作中で、機械仕掛けの「虚ろの王」と肉感的な「山の人魚」という対比を示されてからは、「山の人魚と虚ろの王」というタイトルがさらに魅力的に感じられた。とにかく、タイトル一つをとっても人を惹きつけてやまない魔力じみた魅力を持った作品だ。
掴みどころがない素晴らしさ
同じく山尾悠子作品の「飛ぶ孔雀」でもそうだったが、次にどんな文章が来るか全く予想がつかないし、どうすればこういう小説が書けるのかも皆目わからない。とんでもないものを秘めた小説であることは漠然と分かるだけに、全容が掴めないのがもどかしい。
時系列も定かではないし、どのような場面にいるのかもわからないのに、不思議と読めてしまう。何を読んだのかはよく分からなくても、「山の人魚と虚ろの王」というタイトルにふさわしいものを読んだという感覚は確かに残る。そして、読み終わってから数日経ってから、いつの間にかぼんやりと作中の情景を思い浮かべていることに気づいたりする、不思議としか言えない小説だった。
…筆者は迂闊にも電子書籍で読んでしまったのだが、装丁が素晴らしいのでできれば紙の本で読むことをおすすめする。過去の記事でも同じことを言ったが、装丁を愛でるのも立派な本の楽しみ方の一つだ。
*1:食べると不老不死になれるという人魚の肉をめぐる人間たちを通し「永遠の命」の意味を問う漫画作品。適性の無い人間が人魚の肉を食べると「なりそこない」という化け物になったり、人魚たちが食べるために人間を攫って育てたりと陰鬱な展開が多い。