前回のおさらい
前回は口承文学ということで、「イーリアス」(ホメロス)を紹介しました。話し言葉繋がりで、今回は口述で執筆された短編「駆け込み訴え」(太宰治)を紹介します。
「駆け込み訴え」あらすじ
申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、
酷 い。酷い。はい。厭 な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。
冒頭からこの調子で、ひたすら男が「あの人」とやらを糾弾していく。男が「あの人」に抱いていた屈折した感情を語っていくうちに、男の素性が次第に明らかになっていく。
ちょっと一言
読み進めていけば、「あの人」や男が一体何者なのかは大体想像がつくのですが、それでも最後に男の正体がはっきりするシーンではハッと驚かされます。10分もあれば読み切れるような作品で、こんな驚きを演出できるのは太宰治だから為せる技なのでしょう。
以下微ネタバレ
「あの人」はイエス・キリストであり、男はイスカリオテのユダです。ところで、本作で描かれる「最後の晩餐で裏切りの企てを指摘されたユダが、密告にはしる」というシーンは聖書にはないシーンです。そもそも聖書ではユダの裏切りについての描写が少なく、ユダの自殺シーンがある「マタイによる福音書」でも
そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。
と書いてあるだけです。他の福音書でも「ユダの中に、サタンが入った」と書かれているだけで、総じて「なぜユダはイエスを裏切ったのか」という疑問について聖書は明白な答えを示しません。ユダは本当に、銀貨30枚のためにキリストを裏切ったのでしょうか?
「駆け込み訴え」はパンと魚を増やした話や、油を注がれる話、そして最後の晩餐の様子などの聖書の記述を忠実に再現しながらも、「なぜユダは裏切ったか」という、原典が扱わない疑問に正面から取り組んでいます。
次回予告
はい、はい。申しおくれました。私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ。
「駆け込み訴え」のストーリーのすべては、この最後の一文に向かって進んでいきます。というわけで、次回も「最後の一文」に作品全体のエッセンスが凝縮された作品を紹介します。乞うご期待。