ひつじ図書協会

SFメインの読書ブログ。よく横道にそれます

「新宇宙」と「球状閃電」 宝樹「三体X 観想之宙」

 こんにちは、sheep2015です。今回は、中国生まれの人気SFシリーズ「三体」の「公式が認めた二次創作」こと、「三体X 観想之宙」(宝樹)を取り上げます。

 

 具体的には、最終章「コーダ以後 新宇宙に関するノート」について語っていきたいと思います。読み終えた方向けにネタバレあり、あらすじ説明無しで進めるので、まだ読んでない方は是非一度手にとってみてください。

 

 

「新宇宙」について

 「新宇宙」とは次元逆転によって、全てが元の状態に戻り、もう一度同じ歴史が繰り返された宇宙のことです。「全て」と言いましたが、智子の策略によってもとの宇宙からは部分的に質量が失われており、「新宇宙」は「三体」本編の宇宙(以後、「前宇宙」)とは微妙に異なる初期状態から始まっています。そのため、一種のバタフライ効果で前宇宙と新宇宙には様々な違いがあります。

 

 まず三体星系ですが、三つの恒星は安定した軌道を描いており、前宇宙のように乱紀と恒紀がランダムに繰り返す過酷な世界からは程遠い平和な世界になっています。そのため、そもそも他の世界を侵略しようという動きが微塵もありません。

 

 また地球では、三体世界へのメッセージが発信された紅岸基地は予算の関係から建築されておらず、紅岸基地に回されるはずだった予算で、劉慈欣が「三体」執筆時に勤めていた火力発電所が建設されています。

 

 個々の登場人物の話を移すと、前宇宙では三体世界にメッセージを送った葉文潔は前宇宙と同じく文化大革命の中で父を失い、辺境で労働に従事させられるという悲惨な境遇にいます。「三体」「三体Ⅱ 黒暗森林」で主人公を力強く支えた大史こと史強は、ベトナム戦争で命を落とし、前宇宙では三体世界と地球を破滅させるスイッチを握る「執剣者」を長年勤めあげた羅辑は、論文(?)の盗作疑惑を巡って不毛な争いをメディアで繰り広げます。

 

ハッピーエンド…?

 と、このように「新宇宙」では三体危機そのものが起こっていません。ついでに、「三体」の前日譚ともいえる「球状閃電」で発生した動乱も同様です(この点については言いたいことがあるので後述)。

 

 そして、ただ一人前宇宙の記憶を持つ雲天明、改め「劉慈欣」氏がSF小説として前宇宙の物語を書きだすシーンで「三体X 観想之宙」は幕を閉じます。このオチは二次創作ならではの秀逸なオチって感じで結構好きです。

 

 「新宇宙」は、三体危機が起こらなかったという意味では平和な世界ですが、登場人物たちが幸せかというとそうでもありません。葉文潔や史強を見ればそれは明らかです。

 

 つまり「新宇宙」は全てがうまくいって皆が幸な、ご都合主義的ハッピーエンドでは全くありません。前宇宙の登場人物たちのifの姿が淡々と語られて終わる、そっけないエンディングと言えます(その点、「ジョジョの奇妙な冒険」の第六部「ストーンオーシャン」のエンディングとも似ているな、と思ったり)

www.bookreview-of-sheep.com

 

「伝説が終わり、歴史がはじまる。」

 「コーダ以後 新宇宙に関するノート」では、冒頭に田中芳樹「銀河英雄伝説」の最後の一文「伝説が終わり、歴史がはじまる。」が引用されています。三体危機を巡り、葉文潔、王淼、史強、羅辑、程心を始め様々な人物が前宇宙で繰り広げた「伝説」は一度終わり、新宇宙に到達した雲天明=劉慈欣が書くSF小説「三体」という「歴史」として再び始まる、ということでしょうか。

 

 いずれにしても、最終章まで読み進めた時、扉にこの一文があるのを見て衝撃で変な声が出ました。次元逆転が同じ歴史の繰り返しをもたらすと知った雲天明が、「涼宮ハルヒの憂鬱」の「エンドレスエイト」を持ち出して反発するシーンにも驚きましたが、まさか中華SFの中で「銀河英雄伝説」にお目にかかるとは…。

 

www.bookreview-of-sheep.com

 

 

「球状閃電」について

 「コーダ以後 新宇宙に関するノート」では、雲天明が前宇宙で勃発した「南シナ海での戦争」が勃発しないことに安堵するシーンがありますが、原注でも言及されている通り、これは邦訳未出版の劉慈欣の2005年のSF小説「球状閃電」(原題:「球状闪电」)と関わりのある内容です。

 

 「球状閃電」については以前英語版を読んで書いた記事があるので、邦訳の出版が待ちきれないという方はこちらを読んでくれればいいのですが、問題なのはこの雲天明の回想で、だいぶんネタバレしちゃっていることなんですよね…。

 

 「球状閃電」は、「三体の前日譚!!」と胸を張って言えるほど、「三体」と直接的につながっているわけではないのですが、いくつかの設定や登場人物は共有していたり*1、「三体」への伏線も張られているので、邦訳がまだ出ていない日本では割と扱いに困る作品になっている気がします。

 

 例えば、訳者後書きでも明かされているように、「三体Ⅱ 黒暗森林」の日本語版では、「球状閃電」の邦訳が出版されていないことを受けて、面壁者タイラーの計画の内容が差し替えられています。これはもともとのタイラーの計画が、「球状閃電」の核心的な設定の一つである「球電」をフルに活用したものだったからです。

 

 かと思うと、英語版の「三体(Three body problem)」ではカットされている、汪淼と丁儀が「球状閃電」の鍵を握るキャラ林雲(リン・ユン)について会話するシーンが日本語版では残されていたりします。

 

 結局、「三体X」では敢えて「球状閃電」のネタバレをしながらも、原典を尊重してそのまま訳した、、、ということなのでしょうか。

 

 いずれにしても、「三体X」の訳者あとがき曰く「球状閃電」は「本書と同じ翻訳チームにより、近々、早川書房から日本語版が刊行予定なのでお楽しみに。」ということなので、楽しみに待ちたいものですね。

*1:「三体」と「三体Ⅱ 黒暗森林」に登場した丁儀の若き日の姿が、「球状閃電」では拝める