ひつじ図書協会

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スローターハウス5

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戦争中、あなたたちは赤んぼうだったじゃないの‒二階にいるあの子らとおんなじような!

問1.Maryはどのような意味をこめて下線部のように言ったのか、50字以内で答えなさい。

 

 高二の時、英語の授業でこんな問題が出てきた。もちろんこれは、「あなたたちは戦争中はまだ生まれたばかりの赤ん坊だった」という意味ではない。たぶん、先生はそう間違えるヤツがいると思っていたのだろうが。

 

 問題文の状況を整理する。主人公は自分の戦争体験を本にするために、かつての戦友オヘアの家庭を訪れる。だが、オヘアの妻のメアリはなぜか主人公に対してよそよそしい。オヘアと昔語りを始める主人公だが、思い出されるのは本のネタにもならないくだらない思い出ばかり。

 

 そしてついにメアリがキレる。で、オヘアと主人公に向かって下線部のようなセリフを吐いたのだ。彼女はこう続ける。

 

わたしにはわかるわ。二人が赤んぼうじゃなくて、まるで一人前の男だったみたいに書くのよ。映画化されたとき、あなたたちの役を、フランク・シナトラやジョン・ウェインやそんな男臭い、戦争好きな、海千山千のじいさんにやってもらえるように。

 

 つまり、メアリは不必要に戦争を美化するような作品こそが戦争を助長すると思い、主人公を非難したのだ。そして「あなたたちは英雄なんかじゃなくて、ただの愚かな青二才だった」という意味を込めて下線部のセリフを言ったのである。

 

 つい先日、この問題の出典が「スローターハウス5」だと知った。

 

作品説明

 「スローターハウス5」はカート・ヴォネガット・ジュニアの自伝的SF小説。第二次世界大戦中にドイツで捕虜になり、ドイツの本土空襲で最大規模の被害を出した「ドレスデン爆撃」を経験した作者自身の戦争体験が元になっている。

 

 主人公のビリー・ピルグリムは「けいれん的時間旅行者」。彼の意識は、時間軸を無視して全く無規則に人生の様々な場面を行ったり来たりする。捕虜収容所にいたかと思えば、次の瞬間には戦争から帰ってから体験した飛行機事故の現場におり、また次の瞬間にはトラルファマドール星の動物園で見世物にされている。

 

 トラルファマドール星ってなんだよ、という話は置いといて、ここまでの説明でもただの戦争小説ではないことは明らかだが、本作のなによりの特徴は戦争の悲惨さを「なげやりに」描いてることだ。

 

なげやりな戦争体験

 「なげやり」な態度は、何度も出てくる「そういうものだ。」という言い方によく現れている。

 

 悲惨な出来事が起こったあと、作者は決まって「そういうものだ」と言う。戦友が死んだ。そういうものだ。妻が死んだ。そういうものだ。世界では一日に何十万人もの人が亡くなっている。そういうものだ。

 

 もはや戦争の悲惨さを嘆くこともなく、全てを「そういうものだ」という一言で片づけてしまう。こんな冷めた態度は作者の他作品でも共通している。

 

 出世作となった「猫のゆりかご」では、バカバカしいくらいあっさりと世界が滅ぶ。また「タイタンの妖女」では、トラルファマドール星人のある一言の「メッセージ」を伝えるためだけに、人類の歴史が引っかき回されてきたことが終盤で明かされる。

 

 あまりに悲惨な体験をすると、人は全てを受け入れて「そういうものだ」とあきらめてしまうようになるのかもしれない。