#天冥名セリフの解説記事のおまけです。sheep2015が選んだ天冥の標最終巻「Ⅹ 青葉よ、豊かなれ」の名セリフを解説していきます。
「あのセリフが入ってないじゃん!ありえない!」となることもあるかもしれませんが、そこは大目に見てください。また、そもそも「天冥の標」って何?という方はこちらから。
「立ち止まるな。押し潰されるな。生きられる場所を見つけて生きていけ。あんたたちが消えていい理由は何もない」(紀ノ川青葉、①p61)
西暦2079年。救世群の始祖、檜沢千茅は月にいた。月面での商用核融合発電事業のため、救世群は4人のチームを月に送っていた。しかし、チームは月でも健常者からの差別にさらされ、有形無形の嫌がらせを受ける。
あまりの扱いに耐え兼ねた仲間が暴走し、あわや近隣基地との衝突が起きそうになるが、千茅の機転で最悪の事態は避けられた。騒動が終わった後、千茅は曾孫のダイアに一通の手紙を見せる。そこに記されていた、亡き紀ノ川青葉からのメッセージが冒頭のセリフである。
あいつは、きっとまた現れるわ。あなたの前にも、どんな《救世群》の前にも
千茅は、ダイアにそう告げるのだった。
兵士が目の前の敵に全力を叩きこめるのは、自分の背後に自分より大きなものがあるとわかっているからだ。(ガランド・アル・イスハーク、①p119)
ふたご座ミュー星近傍に集う異星人たち「ブリッジレス」諸族の一つ、エンルエンラ。新参者を迎えようとセレスに向かってくる彼らと、セレスを300年に渡って追跡してきた2PA艦隊が激突する。
一方メニー・メニー・シープでも、宇宙戦闘の余波に備えるための防衛準備が進められていた。エランカに代わり新たに大統領になったガランド・イスハークが、兵士たちへの演説を終えた後に、カドムにかけた言葉がこれ。
守るべき家族だったり、恋人だったり、そういう人々が住んでいる国だったり、あるいはそれらをすべて包み込む大きな存在が、自分が死んだあとも続いていくと信じられるから、死んで行けるんだ。未来だよ、セアキ先生。
イスハークはこう続ける。目の前のことだけでなく、自分たちが行き着く未来が明るくあることを、人は求める。このことを自分に悟らせたのは、他でもないエランカなのだとイスハークはカドムに言うのだった。
私は、私たちは、本当に人類を愛している……!(ベッチーナ・ブレントン、①p211)
艦隊司令艦の的確な指揮のもと、2PA艦隊はエンルエンラを返り討ちにする。そしてエランカに艦隊の正体を問われた艦隊副司令バラトゥン・コルホーネンは、セレスが去った後の太陽系の「もうひとつの300年の物語」を始めるのだった。
消信戦争終結後、「限界適応型AI」ベッチーナ・ブレントンと共に太陽系をさ迷っていたバラトゥン・コルホーネンはパラスでブレイド・ヴァンディと出会う。
冥王斑を生き延びたブレイドは、わずかに残ったパナストロ市民を生き延びさせるために奔走していた。コルホーネンもブレイドに手を貸すが、ミヒルによる原種冥王斑散布後も残る感染者と健常者の争いに巻き込まれ、ついにはパラスが核攻撃を受ける。
避難民を逃がすために一度別れたコルホーネンとブレイドが20年越しに再会した時、生き残りは799人まで減っていた。そして、各地に散らばったベッチーナのコピーたちから、この799人が太陽系全体の最後の生き残りであるという事実が告げられる。コピーたちが手を下したのではと言うコルホーネンに激しく反論するベッチーナのセリフがこれである。
ベッチーナは元々対救世群用の防衛型AIとして作られたため、心の底から救世群を憎み、救世群以外の人類を大切に思っている。原種冥王斑散布のために「私はあなたたちを愛しています。」と言うミヒルとは全く違う存在なのだ。そしてベッチーナはこう続ける。
だけど、だめだった。人間は、機械の故障や戦いよりも、孤独に耐えられなかったのよ。
最後の生き残りたちは結局生き延びられる目処が立たず、ブレイドの判断で冷凍睡眠に入る。そしてベッチーナは救世群を滅ぼすための巨大艦隊、2PA艦隊(2惑星天体連合艦隊)を建造し、コルホーネンと共にふたご座ミュー星に向かうのだった。
生まれもった特しつに、さからおうとしはじめた時、そのものがヒトでないとは、もういえないのではないか(オムニフロラ?、①p328)
ラゴス、スキットルと並ぶ「恋人たち」の古株、一旋次。彼は、ヒトに従わずにはいられない「恋人たち」の本性に逆らい、ヒトになろうとしていた。仲間たちの元を去り、フォートピークの竪穴の底を経てドロテアの内部に辿り着いた一旋次は、かつてミヒルだったものと邂逅する。
オムニフロラの血中藻類に冒されて、「汎展開系オムニフロラ」そのものになりかけていたミヒルは、一旋次に冒頭の言葉をかけた。
「人を守りなさい、人に従いなさい、人から生きる許しを得なさい。そして性愛の奉仕をもって人に喜ばれなさい」
ベンクト、アウローラ、ゲルトールト。スキットル、一旋次、そしてラゴス。「恋人たち」はみな大師父ウルヴァーノの教えに縛られている。しかし、それぞれがこの教えに逆らおうとし、それぞれの道を選んだ。そんな「恋人たち」は、もうヒトであるといえるかもしれない。
艦長がこの先、ヴァンディって人に会うことがあったら、伝えてください。俺たちはあんたの友達の背中を守ってやったって(ルッツ、アッシュ、②p275)
ドロテアに潜むミヒルを倒すために2PA、MMS、救世群たちは大規模なドロテア侵攻作戦「クワガタムシ作戦」を発動する。作戦の最終盤、オムニフロラが引き連れている強力な異星生物を前に絶体絶命のピンチに陥ったアクリラたちに、ルッツとアッシュは自らの体を犠牲にして敵を倒すことを提案する。
コルホーネンの昔語りで明らかになったように、ルッツことコワルツェン・ヨーゼンハイムは、かつて副官としてブレイド・ヴァンディを支えた男の一種のコピーである。アクリラにこの伝言を託した彼は、ナノマシンで構成されたロボットであることを生かして巨大なランチャーに姿を変え、敵を迎え撃つのだった。
ヒトは、なるものじゃない!そのように在るものだ!(イサリ、②p299)
ついにイサリはミヒルと対峙する。イサリに腕を落とされ、スダカとゲルトールトの攻撃を喰らってもまだミヒルは死ねない。ミヒルの体は、オムニフロラの血中藻類に置換されており、スキットルに致命傷を負わせるほどの余力を残していた。
ミヒルと刃を交わす中で、イサリはこのセリフを吐く。「Ⅸ ヒトであるヒトとないヒトと」にはじまり、一旋次やスキットルによって繰り返し問われてきた「ヒトとは何なのか」という問いの一つの答えが、このセリフだと言えるだろう。
言ったな? くくく……よし、あたしの勝ちだ。最期にまた一人、陥としてやった。はは(スキットル、②p306)
最後の瞬間、ミヒルは自分を取り戻し、姉妹は言葉を交わすことができた。血を分けたただ一人の妹を失ったイサリに、スキットルが声をかける。
悪いな、泣いてるところを邪魔して。でも邪魔ぐらいさせてくれ。あたしは《恋人たち》だ。好きなやつが泣いてたら笑わしてやりたいんだよ
「恋人たち」であることをやめようとした一旋次とは反対に、スキットルは「恋人たち」としてできることを模索しようとしていた。イサリから「大好きよ、スキットル」という言葉を引き出したスキットルは、満足したように死んでいくのだった。
全部、抱えていってやる。あたしに任せて(イサリ、②p318)
幾多の犠牲を出しながら、一行はついにドロテアの中核にたどり着く。モブの兵士がカルミアンの持ち込んだ「光影弾(リス・ニス・ホツル)」を仕掛けるが、その直後に重傷を負い動けなくなってしまう。
放っていけと叫ぶ兵士を抱えて、イサリは満身創痍の身で走り出す。ギリギリで、「光影弾」が生み出した「無」から逃れたイサリは、下ろせという兵士にこの言葉を返すのだった。
イサリはそれまで、何かを背負うということが無かった。ミヒルがずっと救世群の行く末を案じていたのに対し、イサリは「非染者と仲良くしたい」という理想を追い求めるばかりだった。ミヒルは、イサリという姉がいたのに一人で救世群を背負うことになり、その孤独さにミスチフがつけこんだのである。
モブ兵士を抱えて走る最中、救世群を背負う役目は自分に移ったのだとイサリは悟る。「背負ったものを」という章のタイトルが示すように、このセリフは自分が背負っているものを自覚するようになったイサリの決意表明と言えるだろう。実際、イサリはこの後、救世群の議長として同胞たちをまとめ上げていく。
…天冥名セリフ+α 「Ⅹ 青葉よ、豊かなれ」part3篇 に続きます。
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