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#天冥名セリフ 【Ⅴ 羊と猿と百掬の銀河】

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 #天冥名セリフ で募集され、最終巻の帯を飾った「天冥の標」の名セリフたちの解説です。今回はシリーズの全貌がようやく見えてくる「Ⅴ 羊と猿と百掬の銀河」からお送りします。なお、ネタバレ全開です。

 

「必ずスポンジを持参すること」(ノルルスカイン、p198)

 生まれ故郷の惑星スラント・ルージュを離れた被展開体のノルルスカインは、同じく被展開体のミスチフと共に恒星間知性体としての生を歩み始める。星から星へと渡り歩く旅の中でノルルスカインが学んだ最重要事項、それがこの「必ずスポンジを持参すること」だった。

 

 これはちょっとしたオマージュセリフで、元ネタは「銀河ヒッチハイク・ガイド」(ダグラス・スミス)の「星間ヒッチハイカーにとってタオルとは、持ち歩いてこれほどとてつもなく役に立つものはほかにないというほどお役立ちなものである。」である。

 

 「銀河ヒッチハイク・ガイド」は、ハイウェイ建設のために民家を取り壊すのと同じノリで地球が吹き飛ばされるような、ユーモアたっぷりのSF小説なので、興味がある方はぜひどうぞ。

 

生命の速さには留意しなければならない。(「宇宙の諸注意」、p202、203)

 もちろんノルルスカインはスポンジ以外にも重要なことを見つけており、それら一連の注意事項をまとめて「宇宙の諸注意」と名付けて宇宙の各所にばらまいた。「Ⅹ 青葉よ、豊かなれ」に登場するカン族のアカネカ女王も「諸注意」のことは知っており、ノルルスカインの影響力の大きさがうかがわれる。

 

 その「諸注意」の中でノルルスカインは生命の「速さ」について警告する。曰く、知性を得た生命は物理的限界が許す最大速度で拡大し、しかもその膨張には制限がない。「だから、知性とは早期にコンタクトしなければならない。さもなければあまり望ましくない勢いでこちらにぶつかってくることになるだろう。」というノルルスカインの警告は、どこか「三体Ⅱ」の「黒暗森林論」を思わせる。

 

 そして皮肉にもこの後、ミスチフを呑み込んだオムニフロラの急速な拡大という形で、ノルルスカインはこの警告を身をもって思い知ることになる。

 

 

みんながみんな、ニコニコわらってあく手している宇宙なんて、きっもちわるい。(ミスチフ、p214)

 宇宙を旅する二つの被展開体は、争いが起こり強者が弱者を屠るのを何度も目にする。ノルルスカインがこの現状を悲しむ一方で、ミスチフの感想はこれである。

 

 ミスチフだって争いが良いものだと思っているわけではない。ただ、争いが無くならないのは仕方が無いと考え、一種の諦観からみんなが殺し合う状況を皮肉な気持ちで楽しんでいるだけなのだ。そんなどこか虚無的とも言えるミスチフのパーソナリティが、よく表れたセリフ。

 

 

絶対に、絶対にどんな種も絶滅させないから。強い力で守っていくから。(ミスチフ=オムニフロラ、p264)

 喧嘩別れしたミスチフとノルルスカインは、ビー・ドゥー星系で再会する。だが、ミスチフは既にオムニフロラに呑み込まれてしまっていた。

 

 持ち込んだ感染症で18億人のビー・ドゥー人を殺し、次の星系へ行くために恒星間移民の準備を着々と進めるミスチフは、ノルルスカインに言う。「強い力で守っていくから」。種そのものを守るために種の95%を切り捨てる、恐るべきオムニフロラのシステムに組み込まれて、ミスチフは何を思っていたのだろうか。

 

 

かの者はきっと、覇権戦略を発見したのだ。宇宙を支配できる最適の解法を。(宇宙諸族、p309)

 銀河を支配することが出来る必勝の戦略、すなわち覇権戦略は存在しない。ノルルスカインは「宇宙の諸注意」にそう記した。しかしオムニフロラは勝ち続け、いくつもの銀河を呑み込んでしまう。紀元前3000万年時点で、オムニフロラの生息銀河数は925個。その分布恒星は実に271兆個に達した。

 

 オムニフロラが覇権戦略を見つけてしまったと恐れおののく諸族を尻目に、ノルルスカインはオムニフロラへの抵抗を続けるが…

 

 

ぼくは思ったよりもたくさん見てしまったから。人が、可憐に滅んでいくさまを。(ノルルスカイン、p315-316)

最初の一千万年は、オムニフロラを押し留めるために戦った。

次の一千万年は、仲間たちを守り、保ち、逃がすために戦った。

次の一千万年は、逃げることすらできない仲間たちと、ともに死ぬために戦った。

 

 押し寄せるオムニフロラを前に、ノルルスカインは戦い、敗れ、退却する。人格が幾度も変化するほどの長い長い戦いと敗北の日々を経てきたノルルスカインの心情が、このセリフに現れている。

 

「おれは世界に対して、もっと広く大きく触り、まだ俺の知らないことや誰も知らないことを知っていくぞ」

 かつてノルルスカインはこう言った。この宣言に「めんど」と答えた相手はもういない。それから何千万年もの時が経ち、幾星霜に及ぶ戦いと退却を経験したノルルスカインは、旅の途中に出会った相手とこんなやりとりを交わす。

「あんたは何者なの?」

「ぼくはノルルスカイン。世界に対して、もっと広く大きく触り、まだ自分の知らないことや、誰も知らないことを知ろうとした者だ」

「知ろうとした?今は違うの?」

「今でもそうだ。けれどもぼくは思ったよりもたくさん見てしまったから」

「何を?」

「人が、可憐に滅んでいくさまを」

 

 

いま私は、一生に何分もない貴重な時間を楽しんでいるんだから。(アニー、p332)

 オロナ盆地でのレッドリート発生、そしてザリーカの誘拐。苦難の中で時に自暴自棄になりながらも頑張り続けるタックは、思いきってタイプKの機上でアニーにプロポーズする。

 

 しばらく黙り込むアニーの姿に心配になり声をかけたタックに、アニーがかけた返事がこれ。個人的に、「天冥の標」に登場する幾組ものカップルの中で、タックとアニーが一番好きです。

 

 

けれども一眷属にすぎない自分は期待する、あるいはそのように祈る。ここで当たりの目がでますようにと。(アニー、p411)

 ザリーカ誘拐がきっかけで発生したノイジーラントとMHDの小競り合い、通称「ヴォルガ号危機」を振り返るなかで、アニーはこのように述懐する。はるばる地球からパラスの農家にやってきた謎の学者、アニー・ロングイヤー。その正体は、個体展開したノルルスカインの副意識流(トリビュータリ)だった。

 

 そもそもアニーがオロナ盆地を訪れたのは、オムニフロラへの対抗手段を太陽系の農業に探すためだった。そして、結局それは見つからなかった。しかし、代わりにアニーがオロナ盆地で見たのは、ロイズや海賊、そしてミールストームのような大きなものに蹂躙されながらも、健気に作物を作り続けるタックたち小惑星農家の姿だった。

 

「負けないところ、頑張るところ……とても健気で、可憐なところがあなたたちにあるから、かな」

 最初はどこか他人事のようにタックたち小惑星農家を見ていたのに、急にタックたちに協力し始めた理由を聞かれたアニーは、こう答えるのだった。

 

 

 …実はアニーのこの発言の時点で、「当たりの目」は既に出ていた。オムニフロラが「覇権戦略」を見出して進化をやめてからも、地球の生物たちは6千万年の間営々と進化を続けてきた。その遺伝子の中に、冥王斑ウイルスを無効化する能力を秘めたものがひそかに存在していたのだ。

 

 だが、その遺伝子を発現させる冥王斑根治療薬を作るには異星人カルミアンの高度なテクノロジーが必要だった。そして皮肉にも、そのカルミアンのテクノロジーが「Ⅵ 宿怨」で太陽系が壊滅するきっかけをつくるのだった。

 

次回:【 Ⅵ 宿怨 】篇 

前回:【Ⅳ 機械じかけの子息たち】篇

 

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