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李徴の性格を高校生で例えると? 「山月記」(中島敦) 読書リレー#15

 本をリレー形式に繋げて紹介する企画「読書リレー」。第15回の今回は、「その声は、我が友、李徴子ではないか?」で有名な「山月記」(中島敦)です。

前回の「羅生門」(芥川龍之介)の記事はこちらから

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山月記 あらすじ

 舞台は唐代の中国。主人公の李徴(りちょう)は優秀な男だったが、漢詩で後世に名を残すために役人を辞め、創作に専念する。しかし詩人としては完全に失敗し、結局は下級役人に戻る。

 

 出世した同僚の下で働かなければならないこと、自分の漢詩が認められないことに苦しんだ李徴はついに発狂し、ある日行方不明になる。 

 

 しばらくたったある日、李徴の友人袁傪(えんさん)は山道で虎と化した李徴と再会する。驚く袁傪に、李徴は虎になるまでの自分の身の上を語り始めるのだった。

 

李徴を高校生に例えると?

 己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。

 

 李徴は人間であった時の自分をこのように反省します。「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」。山月記の中でも有名なフレーズですが、つまりどういうことなのか、受験勉強で例えて解説していきます。

 

 

 とりあえず、ほとんどの人が大学に進学するという前提で話を進めます。高2の後半ぐらいになると、いわゆる「受験ガチ勢」というグループが出現します。部活を早めに引退して予備校に通い始め、テスト前にはガチ勢同士で勉強会をしているような人たちです。

 

 李徴タイプの人とは、こういうガチ勢に加わらずに「俺は予備校なんか行かずに自分で勉強するぜ!」と言いながら全然勉強しない人です。高校生の時の私がまさにこういうタイプだったので、ここからは私が元高校生李徴として、李徴タイプの性格を解説していきます。

 

「臆病な自尊心」とは?

   というわけで李徴タイプの人の性格の解説です。まず、ガチ勢に加わらないのは、自分の本当の学力が明らかになってしまうのが怖いからです。予備校に行ったり、勉強会に参加したりすれば自分の実力は本当は大したことがないのがはっきりしてしまいます。

 

   そうやって自分の実力が明らかになってから本当の受験勉強がスタートするのに、自分の実力を認めたくなくてスタートラインにすらたてないのです。自分の実力がはっきりしてしまうのが怖くて、ガチ勢に加わらないことで自分のプライドを守る。これが、「臆病な自尊心」です。

 

「尊大な羞恥心」とは?

   では李徴タイプの人が、勉強しないのに「俺は自分のやり方で勉強するぜ」みたいな雰囲気を出すのは何故でしょうか?それは、「全然勉強してないダメなヤツ」になるのが恥ずかしいからです。

 

 どうせ勉強しないなら友達と目一杯遊ぶなりして高校生活をエンジョイすればいいのに、それも出来ないんですね、李徴タイプの人は。「自分は他のヤツとは違うんだ。本気出せばすごいんだ。」みたいな妙なプライドがあるわけです。

 

   勉強しないのに、「勉強してないだめなヤツ」になるのが恥ずかしくて「俺は他のヤツと違う、自分のやり方で合格できるんだ」みたいな幻想にしがみつく。その結果、マイルド勢同士でつるんで残り少ない高校生活を楽しむこともできない。これが、「尊大な羞恥心」です。

 

 まとめ:李徴タイプの人の特徴

 ここまでを乱暴にまとめると、李徴タイプの人はプライドのせいで、ガチ勢にもマイルド勢にもなれない人です。

 

  そして作中で李徴がそうだったように、李徴タイプの人には友達があまりできません。  ガチ勢グループにも加わらないし、マイルド勢グループともつるまないから当たり前ですね。

 

   で、友達とあまり交流しないということは友達から刺激を受けることがないということなので、李徴タイプはあまり大成しません。李徴自身、「己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。」と振り返っていますね。

 

「山月記」のメッセージ

  ぶっちゃけ、李徴タイプでいることのメリットは皆無です。実際、高校生の時に李徴タイプを貫いてしまった私は不毛な高校時代を過ごし、一浪しました。

 

 しかし、「山月記」は李徴の生き様を肯定も否定もしないのですね。ただ、「李徵とはこういう男だった。こういう人もいるんだよ」ということを語ってくれるだけです。

 

   元高校生李徴からすると、こういう書き方はかなりありがたいです。「こんなつまらないプライドに縛られているのって、自分だけじゃなかったんだ」と客観的に自分を見られますし、李徴が批判される訳でもないので自分のプライドも守られます。

 

   そうやって自分を相対化したあと、李徴タイプから脱却出来るかどうかはその人次第です。とはいえ、昔は李徴のような人間であった身からすると、李徴タイプの人に寄り添う「山月記」はこれからも読まれていってほしいと思うのでした。

 

前回との繋がり、次回予告

 「教科書に載ってる近代文学作品」ということで、「羅生門」に「山月記」を繋げました。次回は、李徴と似たタイプの主人公が登場する「悟浄出世」(中島敦) を紹介します。

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