本をリレー形式に繋げて紹介する企画「読書リレー」、第13回は「潮騒」(三島由紀夫)を紹介します。それではさっそく、三島作品の中でも異彩を放つ「平和さ」の影にあるものについて考えていきましょう。
「潮騒」(三島由紀夫)あらすじ
人口1400人、俗世間から隔離され清涼な雰囲気を保つ島「歌島」。この島で漁師として身を立てる青年新治は、ある日島の名士の娘初江に恋をする。二人は両想いになるが、その仲をやっかむ青年会の支部長安夫や、新治に横恋慕する千代子の差し金で二人は引き離されてしまう。
初江の父、照吉は持ち船の水夫として新治と安夫の二人を選び、新治は生まれてはじめて歌島を離れる。新治は台風の中で船の危機を救う一方で、仕事を怠けがちな安夫は船員の反感を買う。その頃歌島では、新治の恋路を邪魔したことを後悔した千代子の頼みで、千代子の母が照吉のもとに直談判に赴いていた。照吉は、新治と安夫の人柄を見極めるために二人を水夫に選んだことを明かし、新治と初江の婚約を認める。
歌島に戻った新治は初江と再会し、二人が将来を誓い合うというハッピーエンドで、物語は幕を閉じる。
前回とのつながり
前回の「時をかける少女」(筒井康隆)と同様、読書感想文の題材になるような平和な作品です。私が「潮騒」と出会ったのも、読書感想文がきっかけでした。もっとも、「潮騒」が読書感想文の宿題で出ていたのは兄の方で、私は確か「こころ」だった気がしますが。
平和な恋愛劇
「潮騒」はとにかく平和です。まず、登場人物にひねくれた奴や、陰湿な奴がほとんどいません。新治と初江の恋路を邪魔する千代子と安夫が唯一の例外ですが、その二人にしても千代子は割とあっさりと新治と初江の仲を応援する側に回るわ、安夫は初江を押し倒そうとするも蜂に刺されるというコミカルな原因で失敗するわ、悪役としてはあまり骨がありません。
三島由紀夫の他の作品と比べると、「潮騒」の平和さが一層際立ちます。好きな男の周りに他の女を近づけないために男を密告したり、夫婦共々自刃したり、情夫を殺して埋めたり、何かと三島作品は物騒な結末を迎えることが多いような気がします(あくまで主観ですが)
誰も命を失わず、誰も悲惨な目に遭わない「潮騒」は、三島作品の中でもその平和さでもって異彩を放っており、だからこそ読書感想文の題材にも選ばれるのではないか、と私は邪推しています。
私の感じた違和感については、森川友義氏がこちらの記事でうまく文章化してくださっています。曰く、「潮騒」は映像化され、大衆に受け入れられることを狙っているから、かくも不自然に平和なのだと。
とはいえ、私は「潮騒」が映像化されて大衆受けすることだけを狙って書かれた小説だとは、どうにも思えないのです。
「灯台」と醜い少女
「豊穣の海」四部作の最後の作品「天人五衰」は三島由紀夫の絶筆として名高いですが、「潮騒」にはこの作品と不思議な共通点があります。
「潮騒」の冒頭とラストシーンはどちらも歌島の灯台が舞台であり、新治と初江の逢瀬にも灯台の近くが使われるなど、灯台は「潮騒」の中で特別な意味を持った場所です。
そして「天人五衰」でも、灯台は重要な場所です。何故ならそこは、本多繁邦が旧友の三人目の生まれ変わりと目した少年、安永透と出会う場所だからです。まぁ、安永透がいるのは正確には灯台ではなく船舶の監視事務所なのですが…。港に出入りする船を、高みから観察することができる場所という点ではどちらも同じなのでご勘弁を。
歌島の灯台に住む一家の娘、千代子は新治に懸想しながらも、自らの醜さを恥じて気持ちを伝えることの出来ない少女です。そして、安永透のもとにも絹江という醜い娘が通ってきます。けして美しくはない異性から想いを寄せられる主人公、という構図は「潮騒」と「天人五衰」で共通しています。
「灯台」の重要性と、主人公に想いを寄せる醜い少女。偶然かもしれませんが、絶筆となった「天人五衰」とこうした共通点がある以上、もしかしたら「潮騒」の設定には何か三島由紀夫の秘めた思い、あるいはこだわりがあったのかもしれませんね。あくまで一読者の邪推ですが。
次回予告
「潮騒」はギリシャ古典の「ダフニスとクロエ」を下敷きに書かれています。次回は、同じように古典を換骨奪胎した作品を取り上げます。