本をリレー形式に繋げて紹介する企画「読書リレー」。第16回の今回は「西遊記」のスピンオフ作品とも言える「悟浄出世」(中島敦)です。
前回の「山月記」(中島敦)はこちらからどうぞ。
悟浄出世 あらすじ
沙悟浄が孫悟空や三蔵と出会う前のこと。流沙河の川底で、沙悟浄は「自己とは一体何なのか?」という哲学的問いに悩んでいた。
流沙河に住む妖怪たちの中にも哲学者はおり、彼らに弟子入りするも沙悟浄は満足のいく答えを得られない。
妖怪たちから馬鹿にされ、時には憐れまれる沙悟浄。答えを求めるのにも疲れ果てたある日、彼の目の前に観音菩薩が現れ…。
一歩踏み出せない男、沙悟浄
本作の沙悟浄は、虚無的でいつも悩んでいるようなタイプです。孫悟空がところ狭しと暴れまわるあの西遊記のスピンオフ的作品なのに、活劇シーンはゼロ。沙悟浄が悩んでいるだけ。しかしそこがいいのです。
前回登場した李徵と沙悟浄には「思い切って一歩踏み出すことができない」という共通点があります。
李徵は一歩踏み出せば漢詩ガチ勢と交流し、彼らと切磋琢磨することが出来たのに、それがどうしても出来ませんでした。そして、一方の沙悟浄はと言えば師匠の一人からこう評されています。
渓流が流れて来て断崖の近くまで来ると、一度渦巻をまき、さて、それから瀑布となって落下する。悟浄よ。お前は今その渦巻の一歩手前で、ためらっているのだな。
悩むのをやめてとりあえず世間に飛び込んでしまえば、揉まれれば見えてくるものもある。しかし、沙悟浄はそれができずにうじうじと悩んでしまうのです。
そして、「山月記」と同様に、中島敦はそんな悟浄を責めません。悟浄を批判もせず、さりとてほめることもなく、ただ彼の人となりを丁寧に描く姿から、作者の悟浄への思い入れが伝わってくるようです。
悟浄歎異
実は「悟浄出世」には直接の続編となる「悟浄歎異(ごじょうたんに)」という作品があります。こちらは沙悟浄が三蔵一行と合流してからの話で、沙悟浄の目から孫悟空、三蔵、猪八戒がどう見えていたかが語られます。興味ある方は是非どうぞ。
中島敦の西遊記シリーズ(「わが西遊記」というタイトルがついています)は惜しくもこの二作しかないのですが、万城目学が続編として「悟浄出立」という作品を書いています。
こちらは「西遊記」の沙悟浄、「三国志」の趙雲、「史記」を著した司馬遷の娘…というように、中国古典の脇役たちにスポットを当てた短編集になっています。漢文の授業でお馴染みの「刺客荊軻」にまつわる作品も収録されており、おすすめです。
前作との繋がりと次回予告
前回の「山月記」に引き続いて、一歩踏み出せない系主人公を描いた作品ということで「悟浄出世」を紹介しました。
次回は、一歩を踏み出せな「かった」男が主人公の物語、「恥知らずのパープルヘイズ」(上遠野浩平)を紹介します。