ひつじ図書協会

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熱意と狂気の幻の「DUNE/砂の惑星」。「ホドロフスキーのDUNE」

 2021年に公開され、2億ドル超の興行収入をあげたドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「DUNE/砂の惑星」。2023年秋には、続編「DUNE/砂の惑星 part2」の公開が予定されており、予告映像が先日解禁されました。さらには原作小説である「DUNE」の新訳も出版されるなど、DUNE界隈が今盛り上がっています。

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 しかし、「DUNE」が映画化されるのは今回が初めてではなく、しかも「映画史上最も有名な実現しなかった映画」と呼ばれる「DUNE」があるのをご存じでしょうか?今回は、そんな「幻のDUNE」にまつわるドキュメンタリー「ホドロフスキーのDUNE」を紹介します。

 

「ホドロフスキーのDUNE」について

 「DUNE」は、フランク・ハーバードの同名のSF小説が原作です。海外では圧倒的人気を誇っているビッグタイトルで、海外の本屋では棚一面にずらりと「DUNE」シリーズが並ぶことも。

本棚を占領するDUNE

 にもかかわらず、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督以前に映像化されたのは一度だけ、デヴィッド・リンチが監督をつとめた1984年の「DUNE」のみでした。しかも、この「リンチ版のDUNE」は酷評されてしまいます。

 

 だからこそ、ヴィルヌーヴ版の「DUNE」が熱狂的に迎えられたわけですが、実はヴィルヌーヴ版、リンチ版の以前にも「幻のDUNE」が存在していました。その監督こそが、今回の主役アレハンドロ・ホドロフスキーです。

 

 結論から言えば、このホドロフスキー版の「DUNE」は尺が2時間に収まらなかったり、予算がオーバーしたりで製作が断念されてしまったのですが、それでもこのホドロフスキー版の「DUNE」が、いかにすごかったか、もしも完成していたらどんなに素晴らしかったか…!を語るのが、ドキュメンタリー「ホドロフスキーのDUNE」です。

 

熱量と狂気

 「魂の戦士 (spritual warrior)」。ホドロフスキーはDUNEのスタッフをこう呼びます。

「この映画に携わるすべての人間は、魂の戦士だ。最高の戦士を探す」

 

 だから、ホドロフスキーは「2001年宇宙の旅」の特殊効果を担当したダグラス・トランブルを起用しませんでした。DUNEの製作を持ちかけにいったとき、話の最中に40回(!)も電話に出たトランブルに「高い技術は持っているが精神的な深みがない」という印象を持ったからです。ですが、ホドロフスキーが大物のトランブルを起用しなかった理由はこの一言で説明できるでしょう。「魂の戦士でないものとは映画をつくれない」

 

 トランブルを袖にしたホドロフスキーが、決して「大物嫌い」だったわけではないのは、他のキャストをみれば明らかです。例えば、音楽担当に選んだのはロックバンドのピンク・フロイド。続いて、皇帝シャッダム4世の役に選んだのはなんと画家のサルバドール・ダリ。そして、クライマックスで主人公と戦うフェイド・ラウサには、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーを起用するという贅沢っぷり。

 

 正直、キャストのインパクトだけで勝負すればヴィルヌーヴ版のDUNEに勝ってる気がします。

 

 そして主役のポール・アトレイデス役にはなんと自分の息子を持ってきます。ブロンティス・ホドロフスキーは、「エル・トポ」という作品で父と共演した経験はあったものの、当時は12歳。そんな彼に、役作りのために専用のトレーナーをつけて、空手やら柔道やら曲芸の訓練やらを毎日6時間、2年間もやらせていたというのですから、なんだかもう狂気すら感じます。

 

 当時を振り返り、「なぜ息子を犠牲にしたのかと今でも思う」と話すホドロフスキー(おい)、しかし、こう続けます。

 

「でもあの映画を作るのに自分の腕を切る必要があれば、当時の私は喜んで腕を切っただろう。」

 

 一流の人材を片っ端からスカウトしていく熱量と、自分の息子さえも映画に捧げる狂気。この二つを備えたホドロフスキーと、そのスタッフ=「魂の戦士たち」を振り返って、プロデューサーのミシェル・セドゥーはこう言います。

 

「傑作を生みだすには狂気のかけらが必要だ。(中略)「DUNE」の狂気は激しすぎた。でも全く狂気のない映画は世界を征服できない」

 

 たしかに、インタビュー中のホドロフスキーの目つきって、時々何かにとりつかれているような狂気を帯びることがあってちょっと怖いんですよね…。かと思うと、乱入してきた飼い猫をあやすシーンがあったりして和むんですけども。

 

ラスト15分の「笑顔」

 圧倒的熱量と狂気で「DUNE」の製作を進めていたホドロフスキーですが、予算や尺の関係で製作中止を余儀なくされてしまいます。落ち込むホドロフスキーでしたが、製作を引き継いだのがすでに「イレイザーヘッド」などでカルト的人気を誇っていたデヴィッド・リンチだと聞いてさらに落ち込みます。

「ショックだった。彼なら成功させるとね。あの映画を作れる才能を持つ唯一の監督だ。私の夢だった映画をほかの監督が作るなんて…おそらく私よりもうまくね」

 ホドロフスキーはリンチの才能を認めていました。あのリンチなら、絶対に「DUNE」を成功させてしまうに違いない。自分が撮るはずだった、「わたしが夢にみた通りのDUNE」を…。

 

 映画が公開されても、ホドロフスキーは「ショックで死にそうだから」最初は観に行く気はありませんでした。しかし、そんなホドロフスキーに息子が無情に言い放ちます。

「ダメだ。本物の戦士ならば、観に行くべきだ」

 この無慈悲なセリフ、ブロンティスくん半分くらいは2年間も過酷な訓練をされた腹いせが混じっていたんじゃないかと私は邪推してしまうのですが、とにもかくにもこの言葉に押されてホドロフスキーは、トボトボとデヴィッド・リンチのDUNEを観に行きます。

 

 ここから、このドキュメンタリーの最大の見せ場が始まります。

 

 「病人のようによろよろと映画館に行き」映画が始まったときには「今にも泣きだしそうだった」ホドロフスキー。しかし…。

 

「観てる間にだんだん元気が出てきた。あまりのひどさに嬉しくなった」

「大失敗だ!」

 

 この時のホドロフスキーのニッコニコの顔ときたら!!インタビュー中にこんなにいい顔する人を私は見たことがありません。ほんと、このインタビュー中のホドロフスキーの顔を見るだけでも、「ホドロフスキーのDUNE」を見る価値は十分にあります。

 

 リンチ版のDUNEは製作者サイドがデヴィッド・リンチの才能を生かしきれなかったり、また2時間の尺にすべてを詰めこもうとしてダイジェストのようになったりと、いろいろツッコミどころがある出来になってしまったようです。そういった事情を見抜いたホドロフスキーは「才能あるリンチがこんな駄作を作るはずがない。製作者のせいだ」とも言っています。

 

 いずれにせよ、ホドロフスキーの相棒のプロデューサー、ミシェル・セドゥーの静かな一言で、リンチ版のDUNEの話は終わります。

「あの映画を一生 観る気はない」

 

 

爪痕を残したホドロフスキー

 ホドロフスキーの「DUNE」は、最終的に映画化されなかったものの、そのデザインやストーリーボードは、後のSF映画に大きな影響を与えたと言われています。これについては「ホドロフスキーのDUNE」のなかでも言及されていて、ホドロフスキー版「DUNE」のデザインと、のちの映画(「プロメテウス」「レイダース/失われたアーク」など)のワンショットをオーバーラップさせるシーンがあります。

 

 こじつけっぽいところは少しありますが、特に「プロメテウス」についてはホドロフスキーのDUNEのハルコンネン伯爵の宮殿を参考にしたとしか思えない建造物が出てきており、ホドロフスキーが残した爪痕がうかがえます。

 

 ハルコンネンの宮殿をデザインしたH・R・ギーガーは、のちに「エイリアン」のデザインを手掛けていますし、「エイリアン」で脚本を担当したダン・オバノンもまた、「DUNE」では特殊効果を担当する「魂の戦士」の一員でした。こうして、SF映画界に様々な爪痕を残したからこそ、ホドロフスキーのDUNEは「映画史上最も有名な実現しなかった映画」と呼ばれているのでしょう。

 

 最後は、「ホドロフスキーのDUNE」の中で一番心に響いたセリフを引用して〆たいと思います。

 

観客やハリウッドの重役の意識を変えたいと思うなら、環境全体を変えるまで辛抱強く待つ必要がある。「DUNE」の惑星学者リエト・カインズのように、何千年もだ。