ひつじ図書協会

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「DUNE part2」原作からの改変の理由とは?

 前回↓の蛇足として、映画「DUNE Part2」の原作からの改変について、その理由を考えたりしながら掘り下げていきます。映画のネタバレマシマシ、原作のネタバレ少なめです。

 

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大きく変わったキャラクター

 まず、原作との大きな違いがある3人のキャラクター、レディ・ジェシカスティルガーチャニについて。

 

 原作ではポールの救世主化に否定的だったレディ・ジェシカが映画ではむしろ自ら先頭にたって救世主伝説を煽り、原作ではポールの崇拝者へと次第に変化していくスティルガーが映画では最初からポールの狂信的な崇拝者になっています。

 

 こうして、この二人がポールの救世主化を推し進めるキャラクターに替えられたのとバランスを取る形で、「チャニの離反」という展開が加えられたのではないかな、と思います。続編の「砂漠の救世主」では、救世主に祀り上げられてしまったポールの苦悩が繰り返し、繰り返し描かれます。何しろ、映画のラストで描かれたようにポールを救世主に祀り上げたフレメンたちは全宇宙に戦いを挑み、結果数百億人が殺戮されたのですから。

 

 そう考えるとたしかにチャニの離反には驚かされましたが、むしろポールがチャニに殺されるくらいしてもよかったのではないかな、と思います。映画ではポールは予知のビジョンでチャニに殺される未来も見ているのですから。

 

 さすがに主人公が死んでしまったら映画が続かないし、原作の2作目「砂漠の救世主」の映画化まで計画されているそうですから、そこまではしなかったのでしょう。ただ、原作の3作目「砂丘の子供たち」ではポールとチャニの子供が主役になるので、おそらく「砂丘の子供たち」の映画化はされないのでしょうね。

 

 ただ、気になるのがポールが砂蟲にはじめて乗るシーンからチャニが着け始めた青いスカーフ。原作でも同じタイミングでチャニがスカーフを着けているのですが、これはフレメンの間で「男子を出産した女性」を表すものとされています(原作ではハルコンネンの襲撃~アラキーン宇宙港前の戦いまでのスパンが長いので、この時すでにポールの子供が生まれている)。

 

 映画でも同じ意味が持たされているのか、それともポールとチャニが恋仲になったことを表すただのモチーフなのか、気になるところです。

 

復讐劇…?

 続いて、アトレイデス家によるハルコンネン家への「復讐」について。ガーニーとラッバーンの格闘、そしてポールによるハルコンネン男爵の殺害は、アトレイデス家の復讐が成就する印象的なシーンですが、これは映画オリジナルです。
 
 原作だとポールは、ハルコンネンへの復讐よりも、予知のビジョンが示した「自らの救世主化、そして巻き起こる大虐殺」という未来を避けることに重きをおいています。映画でも、part1でポールがハルコンネンからの逃避行中に初めて未来のビジョンを見たとき
あの未来がやってくる
聖戦の炎が宇宙に燃え広がる
戦士団の上に翻るアトレイデス家の旗
父上の頭蓋を納めた祠を崇拝する戦士団
僕の名の下の戦争!

 と叫び、おびえるシーンがありましたが、このときに観た未来を避けるために原作のポールは全力を尽くそうとします。

 

 で、その結果わりとあっさりとハルコンネン一味は死んでいくんですよね(もちろん、フェイド・ラウサは別です)。復讐よりも、予知のビジョンが示した恐るべき未来を避ける方が重要、というか…。

 
 映画のレビューを見ても、「復讐劇」という言葉を使っているものがちらほらとあり、この点は原作とは違うところだなと思いました。エンタメ上、復讐劇に仕立てた方が観客にわかりやすいと思われたのですかね。

 

その他細かいところ

 原作にはない要素ですが、これはいいなと思ったギミックが2つあったので書いておきます。

 

 一つ目が、ハルコンネン兵が装備している浮揚装置。冒頭、砂蟲の襲撃を避けるために岩山をよじ登るのかと思われたハルコンネン兵たちが、スーーーーッと浮かび上がっていくシーン。陳腐な言い方になりますが、これぞSF!という気がしてとても好きなシーンです。

 

 原作でも「重力中和式の浮揚ランプ」(part1でも出てきましたね)や「浮揚ブイ」という代物は登場するのですが、映画ならではの効果的な演出として登場しておりいいなと思いました。

 

 ガーニー・ハレックも、密輸業者の香料採取工場から地面に降りるときに浮揚装置を使っていましたね。勢いよく地面に飛び降りるのか⁉と思いきや、スーーーーッと優雅に砂漠に降り立つあのシーンも好きです。

 

 二つ目が、ハルコンネン側が使っていた、香料採取工場の位置が表示されるコンピュータのようなもの。こちらの記事でも解説したように、「DUNE」の世界ではかつて起こった機械との戦争への反省から、AIやコンピュータの使用はタブーになっています。

 

 つまり、いくらハルコンネン側といえどコンピュータを使うはずはないのですが、こちらの装置は何人かの人間(おそらくメンタート?)の脳を接続して稼働させているような様子。「人間の頭脳を連結している、強化型人間コンピュータ」という設定なのでしょうか?こちらは浮揚装置とは違って完全に映画オリジナルのギミックになりますが、「思考機械はタブー」という世界観をうまく反映していていいなと思いました。

 

まとめ

 というわけで、「DUNE part2」の原作からの改変点の理由や、映画オリジナルのギミックなどについて解説しました。総じて、大小の変更やオリジナル要素はあるものの、映画の大きな方向性は変えられておらず、とてもよかったです。

 

 原作へのリスペクト度合いという点からみれば、十分完成度が高い良い映画だと思います。原作ファンでまだ映画を観ていないという方は、ぜひ映画館へ行ってみることをお勧めします。

 

 また、映画だけを見たという方には、ぜひとも原作を読んでみることをお勧めします。映画では語られなかった部分(例えば、リエト・カインズが計画していたアラキス緑化計画や、フェイド・ラウサとハルコンネン男爵の内ゲバなど)も多く、新鮮に読めること請け合いです。

 

 
 さらに蛇足ですが、1970年代に「DUNE」の映画化が試みられた時のドキュメンタリー「ホドロフスキーのDUNE」という作品がアマゾンプライムビデオにありまして...

 

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 詳細は下の記事を読んでほしいのですが、個人的に今まで見た中で一番面白いインタビュー映像が収録されているので、おすすめです。