ひつじ図書館

本と映画の感想ブログです。SFおおめ、恋愛すくなめ。

劇場版スタァライト

「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」(以下、「劇場版スタァライト」)」を何回か観たオタクくんの弾丸トークを深夜テンションで対談形式にまとめ直した記事です。見苦しいとは思いますが、しばしお付き合いください。

 

観る度に上がる解像度

 

最近劇場版スタァライトしか映画館で観ていない、とのことですが、何故何回も同じ映画を観るのですか?

 

正直、劇場版スタァライトを勧めてくれた部活の先輩や、ツイッターで見かけるファンの方々が、軒並み何回も観ているのにつられたところもあります。「みんな何回も観てるから、俺も観よう」みたいな。でも、そういう周りからの影響がなくても多分周回していただろうとは思うところもありまして。

 

はい?

 

まず、最初に観た時にものすごい衝撃を受けたんですよ(下記の記事参照)前情報一切なしで観に行ったから、キャラの名前すら知らない状態だった。それでも映画が持つ圧倒的熱量に気圧されて「これはすごい映画だ」と感じたわけです。

 

www.bookreview-of-sheep.com

 

勧めてくれた先輩に「すごかった」と報告したら、アニメがyoutubeで限定公開されていることを教えてもらいまして。家に帰ってアニメを一気見して、もう一回映画を観たくなりました。「前情報なしで観てあんなに感動したのに、これはアニメ版を知っている状態で観たらどうなるんだろう」と気になったんです。

 

だから、二周するところまではある意味既定路線だったんですね。一回目は予習なしで観たら、二回目は予習アリで観たくなる。ただ、その理論だと二周した後も繰りかえし見続けた理由が説明できないんです。

 

三回目、四回目も観たんですか?

 

はい、正直、三回目のチケットをとったときは自分でも「何で俺は同じ映画を何回も観てるんだろう」って思いました(笑)。でもちょうどその時期に気づいたことがあって。

 

観るたびにだんだん「解像度」が上がっていくんですよ。例えば、「MEDAL SUZDAL PANIC◎〇●」のレヴューの最後で神楽ひかりが「まひるちゃん、本当の舞台女優みたいだった!」って言いますよね。パンフを読んだ後だと、このセリフが「舞台少女」から「舞台女優」への成長っていうテーマを体現したものだと気づくわけです。

 

だから、観るたびにどんどん新しい顔を見せられていく感じでしたね。アニメを観た直後に観に行った時には、大場ななが画面に映るたびに目が離せなかったり(笑)観る度に新しい発見があるワクワク感、これが周回した理由の一つだと思います。

 

 

わかります。

 

まぁでも、そういう理性的な面だけじゃなくて「あのシーンをもう一回観たい!」という感情的な面もあったと思います。アルチンボルドの作品みたいになったキリンの顔がアップになって、画面にノイズが走るシーンと、「スーパースタァ スペクタクル」が流れる中で電車が爆走するシーンがお気に入りなんですけど、あのシーンは何度観ても飽きませんね。

 

 

レヴュー曲との相性

これ最近気づいたんですけど、レヴュー曲を聴き込むのがすごく楽しいんですよ。電車の中でレヴュー曲をきいていると「これ、あのシーンで流れるフレーズだな」って気づいてエモくなって...

 

そして、もう一度観たくなる。

 

まさにそうです(笑)。パンフで監督さんも言っていましたが、レヴュー曲を聴くと「劇場版スタァライト」の世界を日常に取り入れられるんですよね。聴くたびに頭の中でレヴューを再体験するというか。最近は、レヴュー曲を聴いていると、歌詞には入っていないキャラクターのやり取りが脳内再生されるようになりました(笑)

 

あとは、歌詞を頭に入れてレヴューを観ると味わいが増すんですよね。やっぱり映像を観ているだけだと歌詞を聞き逃すこともあるので...「スーパースタァ スペクタクル」のシーンで「ホシクバ ホシツメ ホシクバ ホシタレ」ていうコーラスが入っていたのは歌詞を観るまで気づけませんでしたし。

 

ファン同士でカラオケに行って、レヴュー曲を歌ったりしたらすごい楽しいと思いますよ。四人で行って、二人は歌って、あとの二人は劇中のやり取りを再現する、みたいな。店員さんが入ってきた時に「オタクくんさぁ...」って引かれるかもしれませんけど(笑)

 

‥‥

 

 

性を超えたキラメキの世界

初見の時から気になっていたんですけど、「劇場版スタァライト」ってほとんど男性が登場しませんよね。

 

愛城華恋さんの中学生時代、同級生の方々とファストフード店にいるシーンが、男の子が台詞つきで登場する唯一のシーンですね。

 

華恋の家庭のシーンでも、父親は一度も映りません。せいぜい「娘をスタァにするために働いてるのよ」という会話や、リビングに置かれた釣りの雑誌から存在が匂わされるぐらい。

 

ここまで徹底的に男性を排除し、「舞台少女」たちだけの世界を作りあげていることに最初は違和感を覚えました。女性しか出てこないのって不自然じゃないか?と。

 

しかし、今はそうは思っていないのでしょう?

 

今は、「劇場版スタァライト」に女性しか登場しないのは、歌舞伎役者が男性しかいないことや、宝塚が女性だけで演じられるのと同じようなことだと思っています。

 

男しか登場しないから歌舞伎はおかしいって言う人はいませんよね。そりゃ役者は全員男です。でも、舞台の上では女形が女性になりきるから、舞台には女性がいるんですよね。宝塚も同じです。歌舞伎も宝塚も、舞台を降りれば男性だけ、女性だけの世界ですが、舞台の上には男性も女性も現れるわけです。

 

「劇場版スタァライト」では、監督はあえて「性別」を意識させないために、男性の登場シーンを絞ったのだと思います。性別なんてどうでもいいんですよ。

 

彼女たちは「普通の喜び、女の子としての喜び」を捨てて、舞台にすべてを捧げていますからね。

 

まさにそうです。「女らしくてかわいい」「男らしくてかっこいい」みたいな性別による決めつけから解き放たれて、舞台少女たちはキラメく存在に昇華します。そこ一種の神々しさが宿るからこそ、「劇場版スタァライト」には何度も観てしまう魅力があるのだと私は思いますね。

 

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