ひつじ図書協会

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【天冥の標解説】断章のまとめ①

 小川一水のSF小説「天冥の標」の解説記事です。今回は、作中に時々挟まれる「断章」についてまとめました。

 

 

そもそも断章とは何なのか?

 一言でいうと断章とは「ダダーの物語」です。ではダダーとは何か、というと作中では「被展開体」とも呼ばれる「ネットワーク型知性」のことです。

 

 具体的には、ノルルスカインやミスチフ、カルミアンの女王たちのような「複数の計算機or頭脳が作り出すネットワークに宿る知性」のことを指します。

 

 ダダーたちは個体に縛られず、基本的には不死です。生き方も、増え方もヒトとは全く異なります。しかし、ヒトとは普通にコミュニケーションをとることが出来ますし、中にはノルルスカインのようにヒトに肩入れするダダーもいます。

 

 そんな、「ヒトでないヒト」ことダダーたちの物語を記したのが、断章なのです。

 

断章一覧表

 

タイトル

時系列上の位置

登場するダダー

1

ダダーのノルルスカイン、○○する。

約6億年前~24C

5巻

ノルルスカイン

2

オビス・ミュシモンからオビス・キュクロプス、そしてクラウドへ

紀元前20C~21C

2巻中盤

ノルルスカイン

3

ファースト・コンタクト、羊飼いの口承、そして「ビーバー」

3~25世紀

6巻②冒頭

ミスン族、ノルルスカイン

4

クラウドより、オビス・マキナへ

2312年?

3巻末尾

ノルルスカイン

5

ダダーのノルルスカイン、登場しそびれる

2312年

5巻終盤

ノルルスカイン、ミスチフ

6

ヒトである既人とまだの機人と

2804年

9巻①末尾

ノルルスカイン

7

「強いちからでまもっていこう。」―準惑星セレス中心虚 汎展開系オムニフロラ分泌郭内

2804年

10巻①末尾

ミスチフ

8

オンネキッツの遺言―惑星カンム重質量特異点、事象地平線上

2804年

10巻②末尾

ミスン族

89

―「岸無し川」にて―

3135年?

8巻①冒頭

アクリラ

90

川のほとりの《海の一統》

3135年?

8巻②末尾

アクリラ

91

OFF TERRA MATER EST

3135年?

10巻③末尾

アクリラ

 以上からわかるように、基本的に断章は時系列順にナンバリングされています。それでは、ここからは各断章の内容を解説していきます。

断章1 ダダーのノルルスカイン、○○する

 「Ⅴ 羊と猿と百掬の銀河」のノルルスカインパート。ノルルスカインの誕生、ミスチフとの出会いと決別、そしてオムニフロラとの長い長い戦いを経て太陽系に到達するまでの6億年の物語。

 

 それまで謎に包まれていたダダーのルーツがようやく明かされる断章であり、「Ⅰ メニー・メニー・シープ」で少しだけ登場した「ノルルスカイン」という名前が4巻ぶりに再登場します。

 

 作中で一番長い断章で、「断章1の1 ダダーのノルルスカイン、誕生する」から始まり、最後は「断章1の7 農夫タック・ヴァンディ、完敗する」で幕を閉じます。

 

 「究極の非分極化を進めるオムニフロラとの絶望的な戦い」という、シリーズ全体の大きな絵が初めて明かされる断章です。

 

断章2 オビス・ミュシモンからオビス・キュクロプス、そしてクラウドへ

 「Ⅱ 救世群」の中盤の、シリーズ初登場となる断章。断章ってなんだよ、そもそもなんで断章「2」なんだよ、ていうかこれ何の話なんだよ、と戸惑う読者をよそに、羊のDNAに紛れ込んだ何者かが「展開」されていく様が語られていきます。

 

 「被展開体」という見慣れないワードが出てきますが、途中になってようやく「ダダー」という名前が出てきて、これはどうやら「メニー・メニー・シープ」に出てきたあいつの話らしい、ということが分かってきます。

 

 ウイルスとして地球に飛来し、羊のゲノムの中に組み込まれて長い間不活性状態のまま過ごす被展開体。しかし、フェオドール・フィルマンが誤って羊のゲノムデータを読み込んだことで起動され、フェオドールの秘書AI「ダッシュ」に成り代わります。この時点ではダダーが敵か味方か分からないこともあり、ちょっと不安にさせられる展開です。

 

 ちなみに、副題の「オビス・ミュシモンからオビス・キュクロプス、そしてクラウドへ」とは、被展開体が展開していく媒体のことです。

 

 被展開体はまずはムフロン(オビス・ミュシモン)のゲノムデータに組み込まれ、その後ムフロンのゲノムに干渉して賢い羊オビス・キュクロプス*1になり、最後はフェオドールにゲノムデータを読まれたことでクラウド上に進出したことを意味します。

 

断章3 ファースト・コンタクト、羊飼いの口承、そして「ビーバー」

 「Ⅵ 宿怨」part2の冒頭から始まる結構長い断章。3つの章から成り立っています。

 

 一つ目はカルミアンの太陽系到達と「恋人たち」との出会い、そして「救世群」に隷属するまでの話。二つ目は羊を通してダダーの警告を聴いたメララ・テルッセンが、セレスのスカウトたちを訪れる話。三つ目は、21世紀の人口爆発と包括的人口制御、そして宇宙開発と小惑星国家の隆盛までの歴史の話です。

 

 最初の二つはそれぞれミスン族*2とノルルスカインの二人のダダーにまつわる話ですが、最後の一つはダダーとは関係ない気もします。とはいえ、それまで作中では語られなかった、人類が地球から太陽系に飛び出し宇宙に国家を作るまで(Ⅱ~Ⅲの間)を解説してくれるのはありがたいです。

 

断章4 クラウドより、オビス・マキナヘ

 「Ⅲ アウレーリア一統」の最後に挿入される断章。ミスチフが太陽系に到達していることを知ったノルルスカインが、「太陽系クラウドが壊滅的な打撃を喰らっても生き延び」るために、ハードウェアとして羊を利用しはじめる章。

 

 この断章こそ、「Ⅰ メニー・メニー・シープ」から張られていた「生まれつき体の中に機械が埋まっている羊」という伏線が回収される記念すべき断章です。ちなみに「マキナ」は機械という意味なので、「オビス・マキナ」は「機械羊」とでも訳すべきでしょうか。「電気羊」みたいでかっこいいですね。

 

断章5 ダダーのノルルスカイン、登場しそびれる

 「Ⅴ 羊と猿と百掬の銀河」の終盤に挿入される断章。ノルルスカインが人類とのコンタクトを試みるが、ミスチフに阻止されてしまう様子を描く。

 

 フェオドール・オリジンやラゴスのような「個人」とのコンタクトはうまくやってきたノルルスカインですが、いざ人類文明との公式コンタクトとなるとどうにもうまくいかない様子。「Ⅵ 宿怨」でも救世群との公式コンタクトに失敗していますし…。

 

 ちなみに、断章5は時系列的には断章4のすぐあとだと考えられます(どちらもドロテア事件の直後)断章4でノルルスカインは、オフラインになっている拠点が多くありミスチフを見つけ出せないとぼやいていましたが、まさに断章5ではミスチフがそのようなオフラインの拠点ーエトワール・ツェンの金剛窟を手に入れてしまったのでした。

 

 ちなみに断章5は、「Ⅴ 羊と猿と百掬の銀河」の刊行に先立ってSFマガジンで公開されていたりします。(2011年2月号)

 

断章6 ヒトである既人とまだの機人と

 「Ⅸ ヒトであるヒトとないヒトと」part1の最後に挿入される断章。前回の断章からはだいぶ間が空き、時間軸は西暦2804年。本編の方は、セレス・シティを探索していたカドムたちが、セレス南極のハニカムから逃げてきたアクリラと再会した辺り。セレスに追いついた2PA艦隊に潜んでいたノルルスカインの副意識流と、メニー・メニー・シープに潜んでいたノルルスカインの副意識流の邂逅を描く。

 

 「跳ばないよ。彼らの一人でも残っているうちはね」というノルルスカインの名セリフが登場する断章です。また、二惑星天体連合軍戦略追跡艦隊こと、2PA艦隊の姿が初めて描かれる場面だったりします。

 

断章7 「強いちからでまもっていこう。」ー準惑星セレス中心虚 汎展開系オムニフロラ分泌郭内

 「Ⅹ 青葉よ、豊かなれ」part1の最後に挿入される断章。「恋人たち」の元を離れ、ドロテアの中心にたどり着いた一旋次と、オムニフロラとの邂逅を描く。

 

 時系列的には、「クワガタムシ作戦」の直前にあたります。ドロテアに住みつく異星生物と戦ってきてボロボロになった一旋次と、オムニフロラの血中藻類に完全に侵されてしまったミヒルの、凄惨な会見。「Ⅸヒトであるヒトとないヒトと」から繰り返し問われてきた「ヒトとは何なのか」というテーマを考えさせられます。

 

断章8 オンネキッツの遺言ー惑星カンム重質量特異点、事象地平線上

 「Ⅹ 青葉よ、豊かなれ」part2の中盤に挿入される断章。ある計画のために自らを犠牲にすることを決意したカルミアンの女王オンネキッツが後継者に遺した遺言。

 

 オンネキッツは、ふたご座ミュー星に集った異星人との交渉と戦闘、そして恒星の超新星化を進めるために膨大な思考能力を必要としていました。ついに彼女は、ブラックホールの中に全てのカルミアンを投入して自身の思考能力を飛躍的に向上させることを決意します。

 

 「天冥の標」の中で最強の技術水準を誇るカルミアンの女王の遺言だけあって、色々とぶっとんだ話が出てきます。オンネキッツを支える9兆体ものカンミア、思考能力を無限大に増加させるための質量特異点への進入*3、そして高次元存在「水文記者」を利用したワープ技術「光影の小径」などなど。ある意味で、天冥の標世界の技術的な到達点とも言える断章です。

 

 断章89以降はこちらの記事で解説します。

www.bookreview-of-sheep.com

 

*1:ムフロンは実在するが、オビス・キュクロプスは実在しない種。

*2:カルミアンたちは、一般的な個体を「カンミア」、カンミアが複数集まると成立するネットワーク型知性を「ミスン族」と呼んでいる。なお、被展開体全般を指すときも「ミスン族」という呼称を使っている。

*3:同じようなアイディアは、三方行成の「モンティホールころりん」(「トランスヒューマンガンマ線バースト童話集」収録)にも登場します。