Sheep's Bizarre Book Review

邦訳:緬羊書評協会。文系大学生がSFを読むブログです。SFは文理の壁を越えます、多分。

運命の一編 井上靖「北の駅路」

最終更新:2021/04/22

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井上靖の短編「北の駅路」についてのあらすじと感想半分、エッセイ半分の記事です。

 

無気力状態にある人、

何もかもどうでもよくなってしまった人、

自分にとって特別な本を持っている人向け

 

 

 

「北の駅路」の初出は1952年の中央公論2月号。同年、文芸春秋社刊「仔犬と香水瓶」に収録された。筆者は1968年の短編集「楼蘭」で読んだ。

 

 

「北の駅路」あらすじ

ある日「私」のもとに見知らぬ人から四冊の駅路図が届く。

 

日本国東山道陸奥奥州駅路図」という大仰な名前が付けられた駅路図には、東北地方の街道沿いの風俗が絵付きで詳しく綴られていた。「私」は駅路図の記述を資料と照らし合わせたりして、自分なりに駅路図を楽しむ。

 

駅路図の存在を忘れたころに送り主から手紙が届いた。全く身に覚えのない名前だ。見ず知らずの送り主は手紙の中で、駅路図と自分の関わりについて滔々と語るのだった。

 

(以降、駅路図の送り主を「主人公」と称します)

 

 

底のない堕落

まだ若いころ、主人公は投げやりな日々を送っていた。やりたいことが見つけられず大学を中退した後は下宿に引きこもり、心配した先輩が持ってきてくれた就職の口も気まぐれな行動でフイにしてしまう。

 

主人公自身は当時をこう振り返る。

若さに汚れているとでもいうか、そんな嫌な一時期でした。妙に何事につけても懐疑的、否定的で、前途というものに希望を持たず、自分から人生を踏み外して、暗い運命にのめり込んで行くことに妙な快感を感じているような、そんなじめじめした時代でした

 

全ての大学生、若者がキラキラしているわけではない。主人公のように虚無にのまれる者も少なからずいるのだ。

 

 

助け舟

そんなどん底というのも憚られる時期に主人公が出会ったのが、この駅路図だった。ブローカーまがいの手段で日銭を稼ぐために手に入れた一冊だったものの、主人公は不思議と駅路図に引き込まれてしまう。そして、駅路図を題材に小説を書こうと思い立ち、原稿用紙に向かう。

 

結局小説は書き上がらなかったものの、主人公は駅路図のお陰で底のない堕落へと落ちていこうとしていた自分の気持ちが「肩透かしを食ったように」消えていった、と述懐する。

 

その後、戦後の混乱の中で苦境に陥った時にも駅路図は主人公の前に現れる(換金目的で主人公が買い戻したからなのだが)。そして、主人公は再び駅路図に救われる。

 

別に駅路図を読むことで運が上向いたり、やる気が湧いてきたりするわけではない。何なら苦境の只中にいる時には、駅路図の効果は感じられない。後から見返してみると、駅路図をもとに何か創作をしようとしたことで当時の自分が一線を越えないでいられた気がする、というだけだ。

金に詰まった窮余の一策と言うより、生きることに疲れ切って仕舞った人生の敗残者の心が、そこに憩うために、ふと手を伸ばさずにはいられなかったものを四冊の駅路図は持っていたのではないでしょうか。

主人公はこう振り返っている。

 

筆者も似たような経験をしたことがある。受験生であったころ、受験勉強に意味を見出せず(今思うと勉強から逃げていただけだったのだが)日々を無為に過ごしていた時期があった。主人公のように万年床に寝っ転がったまま一日を過ごしたことも何度もある。

 

そんなある日、古本屋で見つけたある本に不思議な魅力を感じ、それこそ貪るように読み込んだ。何度も読み返して、気に入った箇所は自分でノートに書き写した。当時は本を読みはしても、現在やっているように感想を書き留めたりはしていなかったことを思うと異常なほどの入れ込み具合だった。

 

結局受験には失敗し浪人したのだが、あの本に出会っていなければもっと取り返しのつかない破局を迎えていたのではないかと大学生になった今思うのである。

 

その本は色々あって筆者の手を離れ、当時お世話になっていた先生の手に渡ったのだが、それはまた別の話。

 

何もかもが嫌になってしまい、ずぶずぶと奈落の底に沈んでいきたくなる気持ちを、ひょいと逸らしてしまう力を持った本は確かに存在する。本に触発されて何か創作を始めるなら、生きる目的ができるのだから尚更だ。

 

このような本の不思議な力を実際に体験した身としては、「北の駅路」の主人公にはとても共感できるのだ。

 

 

本の限界

しかし、「北の駅路」は「本には人生の奈落に落ちるのを止めてくれる力がある、めでたしめでたし。」では終わらない。

 

主人公が「私」に駅路図を送ってきたそもそもの理由は、再び駅路図を換金する必要が出てきたからだ。主人公は地方公務員になりおおせていたものの、公金を使い込み立場が危うくなっていた。いつ破局が訪れるのか、不安で眠れない日々を送っているものの、今度はもう駅路図は助けてくれない。

 

駅路図をめくっても、創作意欲は全く湧いてこない。駅路図は最早主人公の心の憩いの場ではなくなってしまった。駅路図が癒すのは猥雑な不安や恐怖ではなく、あくまで人生的痛苦なのだ。

 

本が精神的苦境を救ってくれることは確かにある。しかし、本は全てを解決してくれるわけではない。「北の駅路」は本の可能性を示しながらもあくまでドライな態度を崩さない。あるいはそれは、「本に助けられたものはいつかは本に頼らずに生きていかなくてはいけない」というメッセージを伝えるためなのかもしれない。