こんにちは、久しぶりに図書館で本を借りたsheep2015です。今回は、「星が消える」というインパクト大な設定と、取っつきやすさが魅力の長編SF「宇宙消失」(グレッグ・イーガン、1992)を紹介します。
あらすじ
2034年、謎の球体「バブル」が太陽系全体を取り囲むように出現し、夜空から星が消えた。地上では終末の到来を叫ぶカルト集団が乱立し、中でも《奈落の子ら》と呼ばれる集団は過激なテロを繰り返して世界に混乱を招いていた。
30年後、人々は「バブル」の存在にも慣れ平穏な日々を送っていたが《奈落の子ら》によるテロ行為は依然として続いていた。そんなある日、元警官のニックは厳重警戒の病院から姿を消した女性ローラ・アンドルーズを探して欲しいという匿名の依頼を受ける。
ナノマシンを使って脳神経をコンピュータとして再結線する技術「モッド」を駆使して捜索を行うニック。ローラを追ってたどり着いたオーストラリアの新香港(ニュー・ホンコン)で彼は《奈落の子ら》による誘拐の可能性を疑い始める。そしてこの一件が、「バブル」の創造主とされる異星人バブル・メイカーにも関わっていることを知り…。
感想:読みやすい!
実を言うと、イーガンの長編には「読みにくい」という苦手意識を持っていた。理由は簡単、舞台となる世界を理解するのが大変だから。重力が謎法則に従って働く世界が舞台の「白熱光」(2008)はなんとか読めたけど、ゴリッゴリの仮想世界が舞台の「ディアスポラ」(1997)は途中で挫折…
描写が冗長なわけではないけれど、描かれる世界が独特すぎて「世界観」を理解するのが難しい。そんなイメージがイーガンの長編にはあった。
しかし、「宇宙消失」の世界のなんとわかり易いことか。太陽系は、太陽を中心とした半径200億キロの球体にすっぽり包まれている。星空は見えないけど、人類はテクノロジーを発展させながらそれなりに平和にやっている。以上!
という訳で、イーガンの長編ということで身構えて読み始めたけれど、どんどんのめり込んでいくことが出来た。
他のイーガン作品との類似点
読んでる途中に、他のイーガン作品(主に短編)と似ているな、というアイディアが何個かあったので備忘録代わりに整理しておく。「宇宙消失」はイーガン作品の中ではわりと初期のものなので、執筆中に生まれたこうしたアイディアが、後の短編で生かされていったのだろう。
ハイテクガジェットを駆使した捜査「チェルノブイリの聖母」
「宇宙消失」はニックによるローラ捜索から始まる。まずここで思い出したのが、「チェルノブイリの聖母」(1994、「しあわせの理由」収録)。フリーランスの探偵の主人公が、行方不明の一枚のイコン(聖像画)を探す中で、そのイコンに隠された秘密に迫っていく短編。
「モッド」を駆使するニックと同様、「チェルノブイリの聖母」の主人公もハイテクガジェットを駆使して捜査を行う。個人的には、あらかじめ床の上にばらまいておいて尾行対象の靴に付着させて、その足取りをモニターする微小球がお気に入り。
強化された警官「愛撫」
ニックは「強化」されている。正確に言うと、警察官として冷静に職務を遂行できるように感情を抑制したり認知能力を高めるモッドが脳神経に組み込まれている。そして「強化」された警官と言えば、「愛撫」(1990、「しあわせの理由」収録)だ。
主人公の警官は、惨殺された生物学者の家で頭は女、首から下は豹の「キメラ」を発見する。キメラの来歴を調べていくうちに、「著名な絵画を現実世界に完全に再現する」という欲求に憑りつかれた芸術家が捜査線上に浮上し…。
「愛撫」の警官は職務中は「強化」状態にあるおかげで、キメラを見ても全く驚かないし、命が危なくなっても至極冷静に対処する。ここまではニックと同じだが、「愛撫」では強化状態がとかれると、PTSDのような症状に主人公が苦しめられる。
「愛撫」ではドラッグを使って強化が行われてるのが、「宇宙消失」ではモッドを使うようになっており、設定がよりサイバーパンク的になっている。
オーストラリアと難民「失われた大陸」
「宇宙消失」の主な舞台となる都市「新香港」(ニュー・ホンコン)。その来歴はなかなか興味深い。
香港で当局が弾圧を強化した影響で、不法出国者が増加して大量の難民が発生。多くの国が受け入れを渋る中、独立したてのアボリジニの部族連合が北オーストラリアの土地を提供。国際世論からは物笑いの種にされたが、東南アジアに近いという地の利もあって世界中の投資家から大量の資金が流入し、あっという間に香港をしのぐほどの巨大都市として繁栄した…という設定になっている。
難民問題をテーマとしたイーガンの短編と言えば、「失われた大陸」(2008、「ビット・プレイヤー」収録)だ。宗教対立を逃れるためにタイムスリップで亡命を図る難民と、その受け入れを渋る未来の政府を描いた作品。
イーガンの出身はオーストラリアだが、母国の難民政策には否定的で、2000年代には難民支援に積極的に関わっていて執筆が一時中断されたという。オーストラリアに生まれた難民都市「新香港」の設定には、現実の難民政策への忸怩たる思いも込められているのだろう。
!ここからはネタバレが含まれます。ご注意を!
並行世界を巡る葛藤「ひとりっ子」
物語中盤、ニックは波動関数の収縮を阻害するモッド「アンサンブル」を手に入れたこともあり、「サイコロで1のゾロ目が10回連続で出る」ような、発生確率が極めて低い事象を起こせるようになる。
しかしそれは、幾多にも分岐した並行世界の中から自分に都合のよい世界線だけを選び取り、残りの世界線にいた自分を切り捨てることを意味していた。事実、作中では「なかったこと」にされた「都合の悪い」世界線の記述が時々紛れ込む。
時には百億人規模になる並行世界の自分を切り捨てることにニックは苦悩するが、同様の苦悩を抱くのが「ひとりっ子」(2002)に登場する主人公夫妻だ。
舞台は量子力学の多世界解釈が証明され、並行世界の存在が明らかになった世界。「自分が何か選択をするたびに、並行世界では別の自分が違う選択をしている」という事実に苦しんだ主人公は、世界線の分岐を引き起こさない新しいアンドロイド「クァスプ」を作り出すことを決意する、というあらすじ。
ちなみに、こうした並行世界を巡る葛藤にまつわるテーマを一歩進めた短編として、テッド・チャンの「不安は自由のめまい」がある。「自分が善の選択をしても並行世界の自分が悪の選択をするなら、この世界線の自分が善の選択をする意味はあるのか?」というテーマに深く切り込んだ作品なので、是非読んでみて欲しい。詳しくは下記記事で紹介している。
他の作家のSF作品との繋がり
以上が、「宇宙消失」を読んでいて思い出したイーガン作品。ここからは、読んでいるうちに思い出した、他の作家のSF作品について紹介していく。
取り囲まれる太陽系「死神永生」
概念だけでの登場になるが、「三体」シリーズ三作目「三体Ⅲ 死神永生」(劉慈欣)には実際に「バブル」と似たようなものが登場する。
「三体」シリーズでは「黒暗森林論」という理論が唱えられる。これは簡単にまとめれば、「宇宙では「やられる前に、やる」ために、異星人の文明は見つけられ次第すぐに叩き潰される。」という理論。そして「死神永生」では太陽系の座標が全宇宙に拡散されてしまい、いつ他の文明から太陽系全体を滅ぼすような「黒暗森林攻撃」が飛んできてもおかしくない状態になってしまう。
黒暗森林攻撃を防ぐための手段として様々な方法が考えられるが、その一つが太陽系を「暗黒領域」で取り囲むというものだった。「暗黒領域」とは一種のブラックホールのようなもので、この領域内では光速が16.7㎞/sまで低下する。この速度は太陽系の脱出速度であり、暗黒領域で太陽系が取り囲まれれば人類は太陽系から出ることが不可能になる。
つまり、人類を太陽系内にとじこめて、自ら引き籠ることで侵略の意思がないことを全宇宙にアピールし、黒暗森林攻撃を防ぐというのが「暗黒領域」の狙い。人類が太陽系から出られないようにするという点では、「暗黒領域」と「バブル」はかなり似ている。
まぁ、「暗黒領域」を作り出す理由が人類を守るためなのに対して、「バブル」がつくられた理由は人類以外を守るためなのは違うけど...。
波動関数収縮阻害「量子魔術師」
「宇宙消失」では「アンサンブル」というモッドを導入して脳神経を再結線することで、波動関数の収縮を防ぐことが出来るという設定になっている。同じようなことを、遺伝子操作で実現したという設定なのが「量子魔術師」(デレク・クンスケン)に登場するホモ・クアントゥスだ。
ホモ・クアントゥスは量子論的現象を観測するために脳に大幅な改造を施された種族で、シリーズの主人公ベリサリウス・アルホーナはホモ・クアントゥスの一員である。パターン認識と数学的処理にかけて高い能力を誇り、これらに異常に強い好奇心を持つように設計されている。要は、「めちゃくちゃ頭が良くて、学習欲求が異常に強い種族」。
ホモ・クアントゥスの最大の特徴が「量子フーガ」と呼ばれる特殊な状態に入ることで、波動関数を収縮させない存在になれるということ。この操作は、脳の一部に電流を流すことで主観的存在としての「自分」を消失させ、一時的に意識を持たない生体コンピュータ「量子客体」になることで実現される。
「量子魔術師」の作者は、波動関数を収縮させるのは観測者の「意識」だと考えていて、波動関数の収縮を阻害するには意識を消失させるしかないと考えて「量子フーガ」という設定を作り出した。この点、意識を保ったままで波動関数の収縮を阻害できる「アンサンブル」よりもエキセントリックなアイディアになっていて面白い。
量子力学SF「球状閃電」
人類は量子論的現象を観測すると、波動関数を収縮させてしまう。しかし実は、波動関数を収縮させずに量子論的現象を観測できる種族の方が宇宙では多数派であり、「バブル」はそうした種族が、人類の「観測」から自分たちを守るために作った障壁だった。
…というのが「宇宙消失」のネタばらし。ところで、設定に量子力学を取り入れているSFというと、個人的には先述の「量子魔術師」や「三体」に加えて、「球状閃電」(劉慈欣)が思い浮かぶ。
「球状閃電」はオーブ状の雷が空を浮遊するという珍しい気象現象「球電」の正体に量子力学を絡めて迫るSFで、「三体」シリーズの前日譚ともなっている作品。
以前、この「球状閃電」の設定が面白くて、「これって実際にあり得るの?」と理系の友達に聞いてみたところ、「確かにアイディアとしては面白いけど、ちょっと無理がある点がいくつかある」という内容の超長文ラインが返ってきてめちゃくちゃ勉強になったのはいい思い出。
その他
その他、気になった点などについて書いて、本記事の締めとしたい。
《奈落の子ら》はどこにいった?
読んでいてちょっと消化不良だったのが、「奈落の子ら」が途中からどんどん存在感を無くしていく点。
前半では、ニックの妻カレンの命を奪ったのが「奈落の子ら」だったこともあり存在感を保っているのが、後半では「アンサンブル」がメインの話題になってうやむやになってしまうのがちょっと残念だった。玻葵(ポークウィ)の部屋を襲撃したりはするけどどうにも尻切れトンボ感が…。
並行世界を生み出さない「ひとりっ子」の話だったはずが、後半からはアンドロイドの人権の話に話題が移り変わっていく「ひとりっ子」同様、時々イーガン作品では話題がずれていくことがあるような気がする。
タイトルについて
「宇宙消失」の原題は「Quarantine」、つまり「隔離、検疫」だ。コロナ禍の中で頻繁にメディアに登場したおかげで、語源も含めて知っている人も多い英単語だと思う。
邦題の「宇宙消失」は、バブルの中から見れば星が見えなくなって宇宙が消えたように見えることを指している。一方で原題では、バブルの外側の異星人が、波動関数を収縮させる人類を隔離するために、バブルを作ったということを指している。邦題はバブルの中目線、原題はバブルの外目線になってるのが面白い。
「宇宙消失」というタイトルの由来は読み始めてすぐに分かるけど、「Quarantine」というタイトルは終盤まで読み進めないと理解できない。ただ、「隔離」ってそういうことか!というアハ体験ができる仕組みになっているぶん、面白さの点では原題に軍配が上がる気がする。