「偽りのない事実、偽りのない気持ち」は、テッド・チャン「息吹」収録の短編。デジタル記録が発達した世界での「正しさ」とは何かを、近未来と近代の二つの世界の物語を通して問いかける。
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1999年生まれの筆者が自分のSF観を語る企画、後半戦です。
前回の記事はこちら。
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前回は、小学生の時に環境問題や原発事故関連の報道のシャワーを浴びて悲観的になり現実逃避としてSFを読んでいた筆者に、大学に入ってから転機が訪れたところまで書きました。その転機となった作品が今回の記事のメインテーマ「天冥の標」です。
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「三体」シリーズの前日譚「球状閃電」(劉慈欣)のあらすじ(ネタバレなし)と感想です。謎の現象「球電」の正体とは?そして球電兵器がもたらす未来とは?
邦訳が出ていないので、骨折って読んだ英訳版をもとに紹介します。
2022/12/21追記: 祝、「三体0 球状閃電」発売!ちゃんと日本語版を読んだ記事も書いたので、よければご覧ください。
続きを読む最終更新:2021/04/22
2020年の野﨑まどの作品。人類が仕事をする必要がなくなった世界で、AIとともに仕事とは何かを考える物語。
続きを読むsheep2015です。「人類が賢くなったら、どうなるか?」という「アルジャーノンに花束を」にも似た設定のSF、「輝きの七日間」を紹介します。
以前、大学の情報科学の授業で提出したレポートのリメイク記事です。いきなりSF小説について語り始めるレポートを教授が面白がってくれたのか、優をもらえました。それはともかくとして、デジタル化社会における「記憶」と「記録」の関わりについて、見ていきましょう。
関連文献:
続きを読む「勉強は楽しい」「勉強ができることは、幸せなことだ」…確かにそうですが、どうしても勉強が嫌になってしまう瞬間はありますよね。そんな時に読んで欲しい一作「旅のラゴス」(筒井康隆)を、私「sheep2015」が紹介します。
この物語はラゴスという男の旅の物語。旅の舞台は人類が故郷の星の汚染から逃れてはるか昔に漂着した惑星。宇宙船や写真機などの高度な技術が失われ、それらの記憶も薄れかけている所謂ポストアポカリプスの世界だ。
技術と科学を失った人類は、異星で生き抜くためにそれぞれに超能力を身に着けるようになった。テレポート、テレパシー、未来予知。これらの能力で引き起こされる事件が集まった事件が、各章で綴られていく。なんだか「七瀬ふたたび」と似ていますね。
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物語はラゴスの旅の途中から始まり、背景説明がないまま淡々と旅は続く。ラゴスの旅の目的が明らかになるには、中盤の章「王国への道」を待たねばならない。
中盤の「王国への道」ではラゴスの旅の理由がようやく明かされます。目的地は「ポロの盆地」。ここには、かつての人類が知識を伝えるために大量の本を保管した図書館がありました。ラゴスの目的は、本を読んでかつての文明について学ぶことだったのです。
ラゴスは遺された書物を貪るように読み、失われた学問体系をどんどん吸収していきます。先祖の日記と実用書から初めて、歴史と伝記、政治経済、社会科学、小説、医学史と科学史、そして法理論の順に15年に渡ってひたすらラゴスは読み続けます。
15年も勉強漬けだったら途中で嫌になったり、息抜きに遊んでしまったりしそうなものですが、ラゴスはただただ楽しみながら勉強を続けます。本を読むということは先人が辿った知の道筋を辿ることであり、その意味でラゴスが本を読んでいくことで、失われた学問が再生されていくとも言えるでしょう。
また「王国への道」は物語の大きな転換点にもなっています。前半ではラゴスの一人称は筒井作品によくみられるように「おれ」なのですが、章の途中、ラゴス二世の誕生と前後して彼の一人称は「わたし」へと変化します。身に着けた学問が、ラゴスの人格を変えたのでしょうか。
また南へ南へと進んできたラゴスの旅もここを折り返し地点にして北の故郷へと帰る旅に変わります。「王国への道」とそこで描かれる「学問の再生」は「旅のラゴス」の真ん中に打ち込まれた重要なくさびであると言えるでしょう。
「パプリカ」のような清々しいおどろおどろしさや、「魚籃観音記」「偽魔王」のようなエログロ要素がない本作は、安心して課題図書にできる類いの本なのでしょう。その意味では、「時をかける少女」と同じく万人受けしそうな小説ではあります。
かといって、作家の牙が抜かれて大人しくなった作品というわけでは全然なく、「旅」そして「学問の再生」という芯がきっちりと通っています。小中学生に限らず、「筒井作品はエログロばかりでけしからん」とのたまうような大人にこそ読まれるべき作品なのかもしれません。
その他、筒井康隆作品の記事はこちらから
コロナ禍で留学やレジャーができなくなり、外に出たいのに外に出られなくなった人、
逆に家にこもるのが性にあってて、外に出る必要がなくなって嬉しい人、
外出自粛については賛否両論だと思うが、「青い星まで飛んでいけ」はそのどちらの意見の人にもおすすめしたい一作だ。
「青い星まで飛んでいけ」の主人公は、人類が創造した宇宙船群に宿るAI「エクス」。「ホモ・エクスプロルレス」という正式名称の通り、地球外生命体とのコンタクトを目指してひたすらに宇宙を探索するようプログラムされている。人類との交信が途絶えても、「未知こそ宝、未知の地を踏もう」という人類に与えられた基底衝動に従ってエクスはまだ見ぬ知性を探し続ける。人がもつ未知への探求の精神を、機械ながら見事に体現した存在だと言えるだろう。
エクスには自我があり、感情も豊かで日常的に任務の愚痴をこぼしたりしている。また面白いことに宇宙船群全体としてのエクスの自我とは別に、下位機械たちもそれぞれの自我を持っている。例えばエクスが敵を感知すると、戦闘機械群たちが
「ヤるのかしら、ねね、ヤっちゃうのかしら」「溜めとく?備えとく?」
などとおしゃべりしながら兵装や弾薬の準備を始める。
下位機械たちは基本的にエクスの指示に従うが、時にはエクス本体の意思と無関係に行動する。本体が接触を控えている生命体と独自のコンタクトをとったり、本体が怒ると「逆上した子供がとっさに相手を叩いてしまうように」攻撃を仕掛けてしまったりと、まるでやんちゃな子供のようだ。
一方でそうした比較的「若い」機械群を世話する老齢のエキスパート機械もあり、エクスは本体自我を中心とした大きな家族のような様相を呈している。こうしたやけに人間臭いエクスが、実は元素変換や亜光速恒星間航行を行う高い技術レベルを備えているというギャップもまた面白い。
ところで、エクス本体は未知の生命体とコンタクトをとるという使命について、どのような思いを持っているのだろうか。長くなるが以下に引用する。
未知こそ宝だ。未踏の地を踏もう。未見の人々に触れよう。
そう謳いあげたホモ・サピエンスの気持ちが、エクスには皆目わからない。一体どこの能天気なボンクラどもだ、と思う。
未知ほど恐ろしいものはない。未踏の地ほど危険な場所はない。未見の連中なんぞ害虫と同義だ。住み慣れた場所で、親しい仲間だけに囲まれて、一生安楽に暮らしたい。これこそ汎宇宙的な生命の願いだろう。何が探検だ。何が接触だ。そんなことを続けていたら病気が移って腐っちまう。
現実は厳しい。未知は魅力的だが脅威でもある。好奇心の赴くままに何の備えもなしに外の世界にホイホイ飛び出すのは自殺行為だ。作中最初のコンタクトで、エクスは容赦ない攻撃を受ける。相手方の周到な欺瞞工作によって不意を突かれたエクスは一時期自我を保てなくなるまで破壊され、バックアップが再びコアを形成し自我が蘇るまで8000年の時を費やした。
エクスにとっては未知の知性からの攻撃は日常茶飯事であり、コンタクトの瞬間には毎回激しい恐怖と緊張に襲われている。それでもエクスは未知との接触を止めることができない。なぜならそれはエクスに埋め込まれた基底衝動だからだ。
そしてエクスと同じように、人類も未知への探求のために外に飛び出すことを止めずにはいられない。エクスが、何度も何度も欺瞞と攻撃と拒絶にあってもなお知性とのコンタクトを求めてしまうように、若者たちはいつの時代にもどんな困難があっても外へ外へと飛び出していく。
未知への飽くなき探求心と、未知の計り知れぬ危険。基底衝動と現実の残酷な矛盾がもたらす問題に、物語の結末でエクスは一つの解答を見出す。「外に出る」ということが賛否両論な話題になってしまった今、エクスが達した境地はコロナ禍の時代を生きるための一つのヒントになるのではないだろうか。
物語は「ぼく」の一人称で語られる。主人公はアメリカの暗殺部隊の兵士、シェパード大尉。9.11とサラエボでの核兵器テロの影響により、コストの許す限り日常のあらゆる場所でID認証が求められるようになった管理社会で、主人公は「人道に対する罪」を犯す人物を上官の指示のままに淡々と暗殺する。
先進国では徹底した認証の成果かテロが激減する一方、年々途上国での紛争は激化し、しかも一度平和が訪れたはずの国でさえも大量虐殺が行われる異常事態が顕現していた。主人公はその混乱の黒幕であるとされる男「ジョン・ポール」を追うが…
恥ずかしながら伊藤計劃について何も知らない状態で読み始めたので、読んでいる間はのんきに「メタルギアソリッド(MGS)っぽいなー」と感じていた。読後に作者の名前で検索をかけてみて納得。これほどMGSシリーズ、そして小島秀夫監督と縁の深い作家もいないだろう。
スネークイーター、HALO降下、民間軍事請負企業、DARPA、ナノマシン、痛覚制御、人工筋肉、ID付きの銃、そして言語兵器。本作にはMGSでおなじみの語彙と設定が次々と登場する。後に作者は「メタルギアソリッド4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット」のノベライズも手掛けており、伊藤計劃と小島秀夫は切っても切れない関係にあると言えるだろう。
MGSの欠点を挙げつらうとすれば、「戦術諜報アクション」というジャンルの軛のせいで、戦場と軍人の周囲しか描くことが出来ず、全くと言っていいほど一般市民の姿が描かれない点だ。その点で「虐殺器官」はMGSとは一線を画している。
本作では主人公が諜報活動中に接触する女性、ルツィア・シュクロウプが無辜の市民の代表格として登場する。また、主人公が同僚と「プライベート・ライアン」の冒頭のループ再生をピザ片手にだらだらと鑑賞する場面など、「日常」を感じさせる描写も少なくない。冒頭だけを鑑賞する理由の一つが「ペイムービーのプレビューである無料の冒頭15分」だから、というところに非常に共感できる、生活感溢れるシーンだ。
そして小説の中の世界の細部にまでピントがあっているからこそ、エピローグでの展開が非常に大きな意味を持ってくる。主人公の行動は倫理的にみればたしかに許されるものでは無い。しかし、筆者はエピローグを読み終わった後、確かに彼はこうすべきだったのだと、少なくとも物語の展開の中ではこうするのが正解だったのだ、という奇妙な確信を持った。
血生臭い話を題材としている小説だが、不思議と爽やかな読後感があり、MGSのファンにもおすすめできる小説である。難を挙げるとすれば新版の表紙が気に入らないが、これに関してはハヤカワ文庫と筆者個人のセンスの相性の問題なので、深くは言うまい。